命の満ち欠け

兄と弟、闇の先、命の光を求めて
ポスター

(C)合同会社K-zone.

 線香花火がパチパチと音を立てて、花を咲かす。子供たちがしゃがみこんで、気持ちをひとつにして、美しい時間が少しでも長く続くようにと花火を見つめている。「風を送っちゃだめ」ほんのちょっとでも風が吹いたとしたら、きっと花火の玉は無残にもボトッと地面に落下することだろう。これは、薬物依存更生施設から、久しぶりに家に帰ってきた弟ユウサクの、子供時代の唯一とも言える楽しい思い出。それと同時に彼自身の心の危うさ、生の心もとなさをも映しているかのようにも見える。

 ユウサクを施設から引き取った兄のショウタ、かつて線香花火を一緒にした近所の幼馴染のミサトと一緒に花火をするユウサクは、まるで子供のようにはしゃぐ。線香花火とは違い、マグネシウム花火の光は強く、明るい。その光のシャワーの中を自転車に乗って泳ぐユウサクの顔はとても幸せそうだ。

花火

(C)合同会社K-zone.

 子供時代の思い出も同時に蘇り、その時に感じていた幸せが、戻ってきたかのようだ。これは映画の中で、彼が唯一明るい顔を見せる場面でもあり、一番美しいシーンでもある。しかし、その直後に彼は再び憂鬱の殻の中に閉じこもる。美しければ美しいほど、終わってしまった時周囲の暗さは際立ち、現実が心に重くのしかかる。彼にとってこれは、薬に逃れた時の彼の体験と重なるところがあったのかもしれない。

 兄弟の家は、ごくありふれた田舎にある一軒家。壁には名画の複製ポスターや、亡くなった祖母が趣味で描いたのだろうか、素人っぽい絵が張り付けられている。仏壇には亡くなってまだそんなに時が経っていない祖母の写真が立てかけられている。ここには祖母の思い出はたくさんあるが、彼らの両親の影はない。映画では母親の存在は一切語られることがなく、父親が暴力をふるっていたことだけがわずかに語られる。優しい祖母は救いではあったが、2人は一般的な家庭の幸せからは遠い生活をしていたことが伺える。兄はこの環境から逃げ出すように外の世界へと飛び出していった。一方弟は逃げ出すことができず薬物に依存、内なる世界に閉じこもり社会から離脱していった。

兄と弟

(C)合同会社K-zone.

 弟ユウサクを引き取り、彼を救いたいという気持ちから、弟の人生をもとにした映画「命の満ち欠け」の脚本を書き始めるショウタ。アルバイトを始めて新しい生活を始めてはみたものの、仕事は辛いだけであり、脚本作りのため色々と質問してくる兄とも気持ちが通じ合わないユウサク。ショウタは弟を救うどころか、思うようにならず時に暴力的になりますます彼を追い詰めてしまう。あるいは自分の脚本が偽善的であると仲間に責められて、怒り狂ってしまう。一方ユウサクはますます自分の殻の中に閉じこもり、更生施設での悪夢が蘇り、現実とも幻想とも言えない世界の中に一人漂っている。自分は厄介者で、どこにも居場所がない人間だ。孤独が彼の心をむしばんでいく。映画はこの兄弟の闘いと言ってもいいほどの激しい葛藤を、それぞれの視点を行き来しながら、進んでいく。一体どうしたらユウサクを救うことができるのか。どうしてこのようなことになってしまったのかと。

 この作品では、花火だけではなく何度も象徴的にセミが登場する。地面から這い出し、脱皮をしたばかりのセミである。セミは脱皮した後、完全に羽化するまで2~3時間もの時間がかかるという。白くて柔らかくて、簡単に傷ついてしまいそうな状態でいる時間には、さまざまな危険が潜んでいる。だから通常セミは木の幹で脱皮して羽化を静かに待っている。この作品に出てくるセミは、木から落ちてしまったセミたちだ。その状態では例え、何者かに襲われなかったとしても、何かに触れると羽がゆがむなどちゃんとしたセミにはなれないため、ほぼ助からないといってもいいだろう。ユウサクは木から落ちてしまったセミなのである。セミは夏の短い時間、鳴けなければ「生きていてよかった」と思うことはできないだろう。木から落ちてしまって1人孤独に絶望しているセミ、それがユウサクである。そのセミを大きな手で優しく包みこむ。決して動かすことなく、辛抱してずっとそのままの形で時を待つ。彼に必要だったのは、まさにその手だったのである。

 ユウサクを演じた小関翔太は、この作品の脚本を書き、さらには撮影、編集を担当した岸建太朗と共に共同監督もしている。かつて友人を薬物中毒で亡くした彼自身の体験が、この作品の動機となっている。命を救えなかった後悔の念が彼を動かしている。まるで、ユウサクを演じることで、友人のその時の気持ちに寄り添い、深く理解しようともがいているかのようでさえあり、鬼気迫るような気が画面からあふれ出している。その一方でショウタはその名前が示すとおり、明らかに自分自身がモデルになっている。まさに今 友人についての映画を作ろうとしている自分。映画を作ることでどれだけ彼女に近づくことができるのか。またそのことが薬物依存に苦しむ人達へのメッセージになるのかいう心の葛藤。(それは友の死を無駄にしないことを意味しており、これ以上ない弔いとなることだろう)それがショウタに投影されている。この兄弟は2人で1人、小関翔太その人を映し出している。1人の熱い思い、この作品に賭ける本気さが周囲の人たちに伝播して、この作品を熱いものにしている。そういう意味では、これは小関翔太にとっての弔いの映画であり、魂の映画であり、希望の映画でもあるのだ。

☆2023年7月1日(土)よりK’s cinemaほか全国順次公開

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