ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ

この世界は美しさで満ちている!

ルイス・ウェインと妻「まさか猫をペットにする気かい」劇中で、ルイス・ウェインの友人が放った言葉だ。今でこそ英国でも猫は人気のペットであるが、ヴィクトリア朝の英国では、猫は鼠退治をしてくれる身近な生き物ではあっても、一般的にはまだペットという意識が希薄だった。元来猫は西洋では、魔女や悪魔の使いという否定的な意味を与えられてきたからである。実際それまでの絵画、特に聖書にまつわるものにおいて猫は、しばしば悪魔の使いとして描かれ、天使に追い払われていたりしたものだ(ロレンツォ・ロット「受胎告知」など)。猫画家であるルイス・ウェインは、そんな猫をペットとしてポピュラーな存在に押し上げた人として、英国では大変に有名な人である。映画の中で描かれているとおり、ナショナル・キャット・クラブの第2代会長であり、いまだに続く会の紋章も彼の手によるものである。

また後年、心の病に侵されたルイス・ウェインの絵は、「万華鏡猫」と呼ばれ、精神病理学の教科書にも載ったということでもよく知られている。(病気が原因ではないという説もある)この映画では、そんな複雑な人物を、この役は彼をおいて他にはいないであろうという演技をベネディクト・カンバーバッチが見せている。

この作品の魅力は第一に、ルイス・ウェインの絵がふんだんに使われていることである。飼い猫ピーターの肖像画から始まり晩年の「万華鏡猫」まで、この映画は彼の猫の世界で溢れている。特筆すべきは、彼がお金に窮した時代に作られ、現在ではコレクターに珍重されている「未来派のマスコット猫」の生産現場が再現されていること、「万華鏡猫」が、彼の精神世界を表現する手段のひとつとして、まさに万華鏡として現れることである。また、彼の絵の世界に出てくる風景が、実際の景色として出てくる凝りようで、美術本では到底真似できない、映画ならではの魅力を放っている。

ルイス・ウェインは、妹の家庭教師をしていたエミリーと恋に落ち家族の反対を押し切って結婚する。家族が反対をしたのは、彼女が10歳も年上だったこと、階級が違うという理由によるものだった。おそらくエミリーの階級は果物商の娘ということなので、ワーキング・クラス、一方のウェイン家は暮らしぶりこそ豊かとは言えないが、ミドル・クラスである。この時代、ワーキング・クラスの若い娘たちにとって家庭教師になることは、社会的地位を上げるための手段となっていた。エミリーはまさにその典型であるのだが、実際にはこのような女性たちへの世間の目はとても冷たかった。これまでミドルクラス以上の職業だった家庭教師が産業革命による富みのお陰で、ワーキング・クラスにまで広がったことを快く思わない人たちがいたのである。それゆえに、ルイス・ウェインとエミリーが同席して観劇した折には、彼らに好奇と非難の目が向けられ、近所の悪い噂となって広まっていくのである。「召使の分際で雇い主と対等に付き合おうなんて、ふしだらな」と。それまで彼女の仕事を快く思っていたウェインの家族はこれを憂い、彼女への態度を一変させる。特に家内を取り仕切るすぐ下の妹キャロラインは、まさにヴィクトリア朝時代の典型的な人物でもあったため、即刻彼女に首を言い渡すことになる。

このような時代に、家族の反対を押し切って愛する人と結婚したルイス・ウェインとエミリー。高い教育を受けたこともあり、もはやワーキング・クラスの隣人たちとは話が合わず、かといってミドル・クラスの人たちからは冷たい視線を受け内に閉じこもりがちだったエミリーの世界は、ルイスによって広げられた。一方、発達障害の傾向があり、なかなか周りの人からは理解されず、はみ出し者だったルイスにエミリーは愛を教えた。お互いを補い合う理想的なカップルである。階級や、当時の保守的な風潮に逆らう彼の気質は、もしかしたら妹のキャロラインが信用していなかった母親、すなわちパリ生まれのデザイナーを父親に持ち、自身も刺繍のデザインを手掛けていたアーティスト気質の母親の血を継いでいたのかもしれない。

しかしながら世間体を気にしないルイス・ウェインの人生は、皮肉にも時代の動きとは無縁ではなかった。新聞の挿し絵が人気だったヴィクトリア朝時代に報道画家としてデビューした彼は、写真の時代になって仕事を失いかけるが、奇しくも雑誌の黄金時代、ポストカードのブームが始まったことによって、かえって売れっ子の猫画家となっていく。そして人々が猫にうつつを抜かしている状況でなくなった第一次世界大戦をもって、仕事を失ってしまうのである。猫専門の画家だったことから、彼の生活は、猫の人気に左右されざるをえなかったのだ。

なぜそこまで彼が猫の絵にこだわったのか。それは、愛する妻の「猫を描き続けてほしい」「忘れないで。辛いことばかりでも世界は美しさで満ちている」という遺言に由来する。3年間という短い期間、妻の辛い闘病生活におだやかな安らぎをもたらしてくれたピーターという名の一匹の猫。それもあって猫の絵を描くこと、猫たちと一緒にいることが、妻との美しい思い出と繋がっていたのである。さらには彼の猫の絵が人々の心にも残り、世界を美しくすることに、彼自身も気づいていたのである。この作品は、彼の生涯を通じて、妻の残した言葉の真の意味をさらに紐解いていくのだが、その真の意味が分かった時、2人の愛の強さをきっと感じることができるはずだ。そして再びルイス・ウェインの残した作品を見る時、それはさらに美しく、輝きを増して目の前に迫ってくることだろう。

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☆12月1日 TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー

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