(ライターブログ)ダ・ヴィンチは誰に微笑む
2017年11月、クリスティーズの競売でレオナルド・ダ・ヴィンチの作とされる「サルバトール・ムンディ(世界の救世主)」が世界最高額とされる4億5,030万ドル(510億円)で落札されたことは、記憶している人も多いでしょう。それから4年が経ちましたが、現在までどこにも展示されることがなく行方知れずのままです。アラブ首長国連邦のルーヴル・アブダビに展示されるとも、レオナルド没後500年を記念するルーヴル美術館での展覧会に出るとも言われていましたが、実現していません。
そんな中、私は「サルバトール・ムンディ」に関する1冊の本を読みました。『最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望』(ベン・ルイス著/上杉隼人訳)。2005年にニューヨークの美術商サイモン氏が約13万円で購入した絵画が12年後に510億円で落札されるにいたるまで、すなわち作品の発見から修復、来歴と帰属に関する議論、ロンドンのナショナル・ギャラリーでの展示、以後の2回のオークションの経緯が詳細に書かれています。まるでミステリ小説のように、時には犯罪小説のように刺激的でした。そしてこのドキュメンタリー映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』がフランスのヴィトキーヌ監督によって作られ、日本でも公開されることを知り心待ちにしていました。
さて、本作。先に紹介した書籍(以下『最後のダ・ヴィンチの真実』)と同様、こちらも発見から現在までの経緯をそれぞれの関係者の視点でまとめていますが、まず驚いたのは、関係者の多くがインタビューに答え、画面に登場していることです。というのも、『最後のダ・ヴィンチの真実』がまるで犯罪小説のようと先程言いましたが、まさにその「犯罪」要素を担っている人物も出演していたからです。まあ、当人は犯罪と思っていないのでしょうね……。つまり、アート業界においては色々とグレーな領域があり、それが今回のような金額での取引の誘因にもなっているのだろうと思います。
(以下、内容に詳細に触れております。これから映画をご覧になる方はご注意ください)
本作では、作品が発見されてから様々な段階で問題があったことを示しています。まずは修復。「修復家が塗りすぎている」「このような修復はヨーロッパでは考えられない」と、その過程・方法に疑問だという声がありました。
次に、帰属に関する議論。修復を終えた絵は当時レオナルド展を企画していたロンドンのナショナル・ギャラリーに持ち込まれ、専門家の目に初めて晒されます。しかし招集された5人のうち、レオナルド作と判定したのは1人だけでした。類似作は他に何枚も存在しており、レオナルド工房の作や弟子の模写作とオリジナルとの違いを示す明確な証拠はないからです。来歴もはっきりしない。にもかかわらず、ナショナル・ギャラリーはこの絵をレオナルド作として2011年の展覧会に展示しました。野心的なキュレーターの思惑もあったのでしょう。当然ながらこの絵は注目を浴び、広く一般の人々も目にする機会となりました。
そして売却。ナショナル・ギャラリーのお墨付きをもらったにもかかわらず、絵は売れませんでした。サイモン氏らはさまざまな美術館やヴァチカンにも声をかけたが悉く断られる。ようやく2013年、ロシアの新興実業家が彼の美術顧問である仲介者を通じ購入するも(1億2,750万ドルの支払い)、その後、仲介者の詐欺的な行為が発覚し法廷闘争に。そして絵はまた売りに出されることとなります。
2度目の売却は2017年のクリスティーズ・ニューヨークでのオークション。巧妙なマーケティング戦略により、絵はオールドマスター部門ではなく現代アート部門に出品され、「The Last Davinci」として大々的に宣伝されました。「サルバトール・ムンディ」を前に感極まって目を潤ませる一般民の映像も流されました(その中には俳優レオナルド・ディカプリオの姿も)。この絵が工房作かも……などというそぶりはクリスティーズにはありませんでした。彼らのターゲットは、専門知識が浅く、レオナルドというブランド名に寄ってくる大富豪。世界最高落札額まで吊り上げたのはクリスティーズと言っても過言ではないでしょう。
このように、それぞれの思惑によって、学問的な追究や議論が十分に行われないまま価値が付加され価格は高騰していく。原題「The Savior For Sale」が示す通り、救世主もまた市場の売買という資本主義の流れに巻き込まれていったのです。