柳下美恵のピアノdeシネマ2021『拳闘屋キートン』

『拳闘屋キートン』の背景 解説:新野敏也さん

 3月21日UPLINK京都『第七天国』から始まった今年の「柳下美恵のピアノdeシネマ」が、7月11日今年の最終回を迎えた。今まで会場としてきたUPLINK渋谷の閉館によって、途中からUPLINK吉祥寺に会場を移しての上演と、大きな変化のあった年でもあった。また、コロナ禍によって、映画館が休館に追い込まれる日もあったなかで、感染対策もきちんと行い、当初の予定通りにプログラムが進んだことは、奇跡的であったとも言える。最終回は毎年恒例のキートン!新野敏也さんの解説付きで『拳闘屋キートン』が上映された。この作品はあまり上映されることがないこともあって、期待も大きく、場内も盛況であった。本稿では、その様子をお伝えします。

『拳闘屋キートン』作品紹介


 金持ちの坊っちゃんアルフレッド・バトラー(バスター・キートン)が、あまりにもひ弱なことを心配した父親から、山での修行を命じられる。しかし、ロールス・ロイスで山に乗り付け、テントを張ってする生活は、普段の日常と何ら変わりない。テントの中にはフカフカのベッドがあり、お湯も沸き、なぜか水道も完備され、身の周りのことはすべて執事がやってくれる。不思議なことに新聞もちゃんと配達される。このナンセンスさが、まさにキートン。貧乏暮らしの狭い部屋なのに、ベッドを折りたたむとピアノが出てきたり、レコードプレーヤーを裏返すとガス台に変わったりと、何でも揃っていた『スケアクロウ』の可笑しさと通じるものがある。森へ狩りに行くと、周りをウサギがピョンピョン飛び跳ね、鹿が木の間から顔を覗かせても「今日は獲物がいないなぁ」というのが、可笑しい。見慣れていないものは獲物と認識できない、一人では何もできない。キートンの生活は、まさに家猫の生態と相通ずるものがあるように思えるのだ。

 山の娘にひとめぼれしたキートンは結婚を申し込むが、屈強な山男である彼女の父親、兄から、こんなひ弱な奴なんて、と猛烈に反対される。一計を案じた執事は、たまたま近くチャンピオンに挑戦する有望なボクサーとキートンが同じ名前であったことから、彼こそがその男であると嘘をつく。その名もアルフレッド・バトリング・バトラー。家族を見事に騙し、かくして無事に結婚することができた2人であったが、花嫁が練習風景を見に行きたいと言ったことから、キートンは、本物のバトリング・バトラーがトレーニングする街へと乗り込み、彼のフリをしなくてはならない羽目になる。キートンとその妻、本物のバトラーとその妻が入り乱れ、両者の間に誤解やすれ違いが生まれるところから起こる笑いは、脚本がよく練られていて、これまでのキートンの映画とは違ったテイストになっている。ボクシングのトレーニング・シーンに関しては、確かにチャップリンの『街の灯』のボクシング場面に比べると、スラップスティック的なアクションの派手さはないものの、キートンのヘナチョコぶりは、それはそれでオツなものである。元々身体能力が高い人間がやるヘナチョコは、目立たなくともそのなかに超人的なところがあり、ただのヘナチョコにはなりえないのである。

『拳闘屋キートン』
(1926年/アメリカ/85分/22fps変速/ハイビジョン/日本語字幕:石野たき子/英題:Battling Butler)
監督・主演:バスター・キートン
共演:スニッツ・エドワーズ、サリー・オニール

【上映会レポート/新野敏也さん作品解説】

これが効果音の七つ道具!

 この作品は、オリジナルがブロードウェイのオペレッタということで、柳下美恵さんが、その楽譜を探して来られ、映画の中でそのメロディーが披露された。柳下さんのピアノの伴奏は時にメロディアスに、時に怒り、時に暴れ、時にとぼけて、スクリーンの世界にピッタリ寄り添い、登場人物たちの気持ちや画面の空気を私たち観客に届けてくれた。今回は、それに加えて、喜劇映画研究会代表の新野敏也さんによる、アクションに対して寸分の狂いもない効果音が場を盛り上げた。ボクシングのゴングの音、鉄砲の破裂音、車が追い越す時の風の音など、手造りでここまでできる。この自由さがサイレント映画の楽しさとも言える。 また上映後、新野さんによる詳しい解説が、映画への理解をより深めてくれた。以下そのハイライトをお楽しみください。

柳下美恵さん

柳下美恵さん
 「キートンといえば、アクションと大がかりなセットというので定評があります。この作品は、そういったものがないというところが、珍しいですね。その辺りの背景などお話いただければと思います。」



新野敏也さん

新野敏也さん
◇キートンのコメディアンとしての地位
 この当時の映画界は、世界の95%がハリウッドの作品で、そのうちの70%、4本映画があったら、そのうち3本はコメディというような時代でした。数千人ものコメディアンの競争相手がいた中で、三大喜劇王は、チャップリン、キートン、ロイドが並んでいいました。けれども、この作品が作られた時、キートンは4番目に落っこちています。キートンを追い抜いたのは、この作品の2年位前にデビューしたハリー・ラングドンというコメディアンです。彼は、世代的にはチャップリンやロイドと同じ時代のコメディアンですが、10歳以上も年上で、かつ今改めて見ると、とにかく何もできないのが特徴の人です。

◇キートンの不運その1
 キートンがデビューの時から約8年間、ずっと一緒に組んでいたカメラマンのエルジン・レスリーが、高額でハリー・ラングドンに引き抜かれてしまいます。彼はキートンにカメラの構造とか、フィルムの現像とかいろいろなメカニカルなことを教えたうえに、特撮の方法についても教えております。例えば、『一人百役』という作品では、キートンが同時の画面で、オーケストラの団員たちを一人で演じるといった特撮も含め、すべてエルジン・レスリーが行っており、キートンとはツーカーの仲でした。2人で『探偵学入門』など数々の傑作を作ってきたのに、です。

◇キートンの不運その2
 エルジン・レスリーにつづき、キートンと共にずっと傑作を作ってきました脚本家クライド・ブラックマンもハロルド・ロイドに高額で引き抜かれてしまい、キートンは、両方の翼をもがれてしまったような状態になってしまいます。この作品より2つ前に作られた『セブン・チャンス』という、今では代表作と言われている作品と、次に作りました『西部成金』が当時は興行的に不振でした。そしてこの辺りからハリー・ラングドンに抜かれてしまうのです。また、『拳闘屋キートン』と同じ年に、皮肉にもクライド・ブラックマンがストーリーを担当したハロルド・ロイドの『福の神』という作品が、世界的な大ヒットを記録します。

◇コメディ映画の形式の変化
 ハリウッドにドイツからエルンスト・ルビッチ監督がやってきまして、コメディの形式がだいぶかわってしまいます。これまでの道化を基本にしたドタバタ喜劇という形式から、人間関係を重視した喜劇に変わります。ストーリー的にも、観客がこういう風に行くだろうというところで、カクッと話の流れを変えて、アっと思わせて終わらせるような作り方が出てきまして、キートンは随分悩んだようです。こうしたなかで、プロデューサーが勝手に買ってきた原作を基に『セブン・チャンス』を作るのですが、それが当たらなかったということもあって、今度は、後にMGMの脚本家として活躍する作家たちを集めて、作品を練り直しします。そしてブロードウェイで10年前にヒットした『バトリング・バトラー』という三幕もののオペレッタの「成りすまし」の設定だけを借りてきて、キートン喜劇に仕上げたのが『拳闘屋キートン』だったのです。

◇『拳闘屋キートン』(『バトリング・バトラー』) の作品構造
 原作の『バトリング・バトラー』が上演されたこの頃、ボクシングに階級制ができたことによって、その闘い方も、今でいうアウト・ボクシング、打っては離れるという、フットワークを使う形に変わりました。これは音楽劇ですので、そのフットワークをタップダンスに取り入れて、人気が出たようです。キートンはパントマイムもアクロバットができるので、タップダンスも得意なのですけれども、この映画自体はサイレントですので、それがギャグとして成立するかという問題がありました。悩んだ末にキートンは、この映画からドタバタの要素をはずして、ストーリー重視の映画に切り替えたのかと思います。顕著にそれが出ているところで言いますと、道化の基本である殴り方、肘を曲げずに大振りで横から殴って、叩かれたほうからよろけるというもの、またキートンの転び方で言いますと、フォールという両足をいっぺんに上げて背中から倒れるという大げさな動きを完全に封印しております。また、ドタバタ喜劇では、流血や痛みを感じさせるというのは、ご法度になっているのですけれども、ボクシングのシーンではトレーナーが、リングで闘っている選手の怪我の具合や凄惨な情景を、試合前の控室にいるキートンにわざわざ教えたりします。

◇『拳闘屋キートン』に関するエトセトラ
 トレーナー役の人(トム・ウィルソン)は、元々ボクサーです。左目が義眼なので恐らくボクサー時代に怪我をしたのかと思います。マック・セネットの映画でコメディアンに転向していますけれども、元々スタジオの用心棒出身の人です。初期アメリカの映画会社は、特許紛争がありまして、「映画全般に対しての特許を持っている」と主張する会社が、新興のスタジオに対して襲撃をかけたりしていましたので、セネットなど後発のスタジオは用心棒を雇っていたのですね。

 執事役のスニッツ・エドワーズは『セブン・チャンス』でもすごく重要な役をやっていますし、この後に作られた『大学生』にも出ています。いつもキートンをまめまめしく世話をしていて、それが一番似合っている人ですね。『拳闘屋キートン』では彼がすごく活躍するのですが、『バトリング・バトラー』というタイトルをもじって、映画の中で、執事butlerが活躍するという風にしているようです。そのため、クレジットでは人名(ボクサーと御曹司の同姓同名)のバトラー(Butler)と混同を避けるためか、スニッツ・エドワーズ扮する執事がValet(召使いの意味)と表記されております。つまり「奮闘する執事=Battling butler」というシャレの題名で、スニッツが本当の主役みたいです。

写真提供:『拳闘屋キートン』場面写真 ©喜劇映画研究会
     効果音七つ道具 ©雨宮真由美   

【柳下美恵さん公演情報】

☆映画タイムマシン&ワークショップフェスティバル2021
2021年8月8日、9日 10:00 川崎市アートセンター
『和製喧嘩友達』小津安二郎監督
『モダン怪談100,000,000円』斎藤寅次郎監督
『石川五右ヱ門の法事』斎藤寅次郎監督
*9日は大森くみこさんの活弁と共に伴奏します。
https://kac-cinema.jp/theater/detail.php?id=001583

☆夏休みの映画館@シネマ・ジャック&ベティ
2021年8月22日 13:30 横浜シネマ・ジャック&ベティ
『ロイドの福の神』サム・テイラー監督
『文化生活一週間』バスター・キートン監督・主演
*上映後に新野敏也さんの解説があります。
https://www.jackandbetty.net/cinema/detail/2643/

☆配信中 映画配信サイト鳴滝
『右門捕物帖 一番手柄 南蛮幽霊』(1929) 橋本松男監督 山中貞雄 脚本
『諧謔三浪士』(1930) 稲垣浩監督
伴奏:柳下美恵(新録)
鳴滝NARUTAKI (narutakionline.com)

<新野敏也(あらのとしや)さんプロフィール>

本年11月に結成45年目を迎える喜劇映画研究会の二代目代表。喜劇映画に関する著作も多数。最新刊「〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る」
著者:マック・セネット 訳者:石野たき子 監訳:新野敏也 好評発売中
喜劇映画研究会ウェブサイト (kigeki-eikenn.com)
ブログ「君たちはどう笑うか」http://blog.seven-chances.tokyo/

<柳下美恵(やなしたみえ)さんプロフィール>

武蔵野音楽大学有鍵楽器専修(ピアノ)卒業。
1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭で開催された映画生誕百年祭『光の生誕 リュミエール!』でデビュー。以来、国内海外で活躍、全ジャンルの伴奏をこなす。
欧米スタイルの伴奏者は日本初。2006年度日本映画ペンクラブ奨励賞受賞。映画館にピアノを常設する“映画館にピアノを!”、サイレント映画の35ミリフィルム×ピアノの生伴奏“ピアノdeフィルム”、同じサイレント映画作品を連日上映する“ピアノ&シネマ”など
サイレント映画を映画館で上映する環境作りに注力中。

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