ハチとパルマの物語

世界をつなぐ犬と人との物語

©2021 パルマと秋田犬製作委員会

 犬には国境がないと言いたいところだが、犬にも国境はある。検疫検査を通過できなければ、当たり前だが、飛行機に乗ることが出来ない。この作品は、モスクワのヴヌーコヴォ国際空港で検疫検査をパスできず、仕方なく置き去りにされたシェパード犬(パルマ)が、飼い主の帰りを信じて滑走路の傍らでずっと待ち続けたという、実話を基に作られている。実際にパルマは、飼い主が乗った飛行機の音を聴き分けて、その飛行機が到着する時にだけ滑走路に出かけていき、タラップを降りる人たちの姿を見続けていたというのだから、すごいものである。亡くなった飼い主が帰る時間になると、駅に迎えに行っていた渋谷のハチ公といい、どうして犬にそんなとができるのか。飼い主への愛、その一心がそうさせたと言うしか他ない。

 

©2021 パルマと秋田犬製作委員会

 一方もうひとりの主人公、母親を亡くした少年コーリャが、別居していたパイロットの父親に引き取られ、この空港にやってくる。これまで父親の姿を見たことがなかった少年にとって、彼は他人に等しくなかなか馴染むことができない。父親のほうも何とか少年の心を開こうと努力するが、ぎこちなくなってしまい、彼の心を溶かすことができない。母親を亡くしたばかりでどん底にいるコーリャにとっては、父が母と自分を捨てたという事実が頭を離れることがなく、父に対して良い感情を抱くことができないのも当然だ。そんな彼はいつしか、犬に自分の境遇をだぶらせていく。「飼い主のもとへ戻してあげたい」まるで自分のことのように純粋な気持ちで行動を起こすコーリャは、飼い主の住所を調べ、手紙を書き、今もパルマが空港で待っていることを伝えようとする。

 動物の愛情表現はストレートである。人が愛情を注げば注ぐほど、素直にその反応が返ってくる。ペロペロ顔を舐める、尾を振る、飛びつく。家に帰って玄関の扉を開けた途端、毎度毎度勢いよく走って迎えに出てくれるその姿を見て、愛おしさを感じない人はいないだろう。よくも毎日毎日飽きることなく、嬉しそうに出てきてくれることか。人間はそうはいかない生き物である。今面白いテレビ観ていたのに、今大事な用を足していたのに。今気持ちよく寝ていたのに。相手が大切な人であったとしても、面倒くささが先に立ってしまうこともあるだろう。動物にはそれがない。

©2021 パルマと秋田犬製作委員会

 この作品では、そんな人間の身勝手が身に染みる。乗客に迷惑をかけてはいけない。自分の職務を全うしなければならない。上司の命令には従わなければならない。さまざまな理由から大人たちは、コーリャとパルマを妨害する。空港の警備員は、パルマを捕え保健所へ送ることに躍起になる。とはいえ、コーリャの気持ちを知った大人たちは、少しずつコーリャに協力し始め、そんなところから父親とコーリャの心も通じ合うようになっていく。

©2021 パルマと秋田犬製作委員会

 この物語は1977年が舞台になっている。ロシア革命60周年にあたり、ブレジネフ書記長の権力がさらに強まった時代である。マスコミがこの物語に飛びつき、犬の忠義と少年の純真を美談に仕立て上げると、当局もこの話を政治的に利用しようと考える。空港の責任者はそれまでの態度をころりと変え、犬と少年を賛辞し、協力的なフリをするようになる。当事者の意思ら関係なく、犬と少年の物語が独り歩きし始めるのである。

 思えば、日本の忠犬ハチ公にしても、忠義という言葉が、当時の政治的な意図と無縁ではなかったに違いない。もちろん銅像を作ろうとした日本犬保存会の人たちをはじめ、この計画に奔走した人たちにはその意図がなかったにしても、である。時あたかも小学校の教科書が国家主義、軍国主義に改定された頃だったからだ。

誠に人間という生き物は、純粋に愛情を求めるくせに、利害や政治、集団や組織のために、それを平気で歪めてしまう生き物なのである。確かに人というのは、孤独では生きていけない。その代償として、社会に生き、組織の中に生きていく中で愛を見つめる目を曇らせてしまっているのである。それゆえに、いつの時代でも、人はこうした忠犬の物語に救いを見出したくなってしまうのだろう。

©2021 パルマと秋田犬製作委員会

 今の時代はどうか。もちろん忠義という言葉をこの物語から見出す人はいないだろう。家族の関係が希薄になり、孤独死が増える現実。コロナ禍でネットだけでしか人と繋がれない空虚さ。そんな中で、この作品は、確かな人と人との繋がり、犬の純粋な愛情、そこから引き出される人の本来持つ温もりを感じさせてくれるものとなっている。そういう意味では、確かに今、求められる物語になっているのである。さらにこの作品は、ロシアと日本の忠犬の物語を重ね合わせ、またハチ公の犬種である秋田犬とロシアの人々との繋がりを示すことによって、さらにその先にある未来、すなわち共通の物語、共通の気持ちを介することによって生まれる、国境を越えたいたわりの気持ち、友情と平和な未来への希望を呈示しているのである。

※2021年5月28日よりヒューマントラストシネマ渋谷、シネスイッチ銀座他全国公開

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