【TIFF】悪は存在せず(ワールド・フォーカス)
作品紹介
イランの死刑制度にまつわる4つのエピソードから、人間の尊厳を問う本年度屈指の話題作。穏やかな日常とドラマティックな展開の対比が素晴らしい。ベルリン映画祭では、イラン政府と対立した監督が不在の受賞式となった。
クロスレビュー
外山香織/強制されて人を殺すということへの恐怖感:★★★★★
(結末に触れていますのでご注意ください)イランの死刑制度にまつわる4エピソードと紹介されているが、制度への反対というよりは、強制されて人間を殺すことへの圧倒的な違和感、恐怖感を訴えているのかなと思う。特に2〜4話は、兵役の中に死刑執行という任務があり、その任務に就く兵士たちの苦悩が視点を変えて克明に描写される。戦争だって強制されて人間を殺すことに他ならないのだが、死刑執行は戦争とは違う類の苦しみであり、例え何らかの方法で免れたとしても、それらは一生涯彼らにまとわりつき、深い影を落とすことになる。当局はなぜそれを兵士たちに課すのかを考えるとゾッとしてしまうのだ。しかしながら私が一番度肝を抜かれたのはタイトルにもなっている第1話「悪は存在せず」である。良き夫、良き父、良き息子である1人の男の日常が淡々と描かれるのだが、最後になって彼の仕事が死刑執行のボタンを押す執行人であることが明かされる。良いとか悪いとかではなく、彼にとってはそれが仕事であり日常なのだ。そしてそこに至るまでに彼の葛藤があったのかなかったのか、あったとしたら今もあるのか、もう麻痺しているのかは語られない。でも当局の狙いはそこ―例え悪は存在せずとも躊躇なくボタンを押せる人間を作り出すこと―なのだとしたら、それは成功しているのだ。それが一番恐ろしいことではないだろうか。
富田優子/法が殺人を強要する不条理:★★★★★
日本にも死刑制度は存在するが、イランでは処刑される人が多数いるということで、日本人の私よりもイランの人々のほうが死刑をより近いものに感じているのかもしれない。4つのエピソードで構成されている本作、どのエピソードにも死刑が日常の延長にある空恐ろしさが通底しており、観客の心に深い爪痕を残す。
死刑は法に基づく制度ではあるが、では実際に執行する人間からすればどうか。「殺人」である。普通の人間であれば、人を殺すことに強い抵抗があるのは当然だ。「罪人だから(死刑になっても当然)」というエクスキューズは、気休めにもならないだろう。法に従うのか、抗うのか。従った者、抗った者のそれぞれの葛藤と代償を通して、システムが殺人を強要する不条理、ひいては死刑制度自体を批判している。ラスロフ監督は明らかに法に抗う者の側にあるが、それに伴う代償(本作で今年のベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞したが、反政府的な映画を作っているとされているため、イラン政府の命令でベルリンへ行けなかった)を彼自身が体現していることを思うと、映画とリンクした理不尽な現実にやるせない思いに捉われる。
【第33回東京国際映画祭】
会期:令和2年10月31日(土)~11月9日(月)
会場:六本木ヒルズ、EXシアター六本木(港区) ほか都内の各劇場および施設・ホールを使用
公式サイト:https://2020.tiff-jp.net/