博士と狂人

言葉に触れて、自由になる

19世紀ヴィクトリア朝時代のイギリスにて、「オックスフォード英語大辞典」(OED)の編纂に携わることになったマレー博士(メル・ギブソン)と元アメリカ軍医の殺人犯マイナー(ショーン・ペン)の出会いによる奇跡のような実話。原作はサイモン・ウィンチェスターの同名ノンフィクションだ。オックスフォードの辞典って、むかし英語教師だったうちの母が持っていたような…。とにかくものすごいボリュームで、第一版は全10巻で414,825語、1,820,000以上の用例があったとか。OEDの編纂方針は、言葉を選抜するのではなく英語全体を網羅するものであったのだそう。その背景には、大英帝国の強大な力が及んだ結果、英語が世界の共通言語として使われ始めたことも挙げられる。

「辞書編纂の映画」と言えば、日本では三浦しをん原作の映画『舟を編む』を想起する人も多いのではないだろうか。しかしこのOEDはいわゆる普通の辞書ではなかった。言葉は常に生まれ、死に、変わり続ける。OEDは言葉の意味や語源に止まらず、「この言葉はいつ、どの作品に登場したのか?どのように引用されたのか?そしてその意味はどのように変遷していったのか?」まで記されているのである。対象となる文献は英語で著されたあらゆる印刷物だ。マレー博士はその気の遠くなるような収集作業に協力できる人を幅広く募った。言わば、収集ボランティアである。そしてそれに志願し膨大な量の用例カードを提供した人物こそ、殺人を犯し精神病院に収監されていたマイナーだった。

これだけの大プロジェクトである。正直なところ、多くの言語を独学で習得したマレー博士ひとりを主人公とした内容でも十分に成り立つと思える。大学を出ていないこと、スコットランド人であることなどを理由に、彼の前には様々な壁が立ちはだかる。しかし、本作の軸はむしろマイナー医師におかれた。知識も教養も備えた元エリート軍医のアメリカ人がなぜイギリスで殺人を犯すことになったのか? 収監された施設の中で、どうやって辞書編纂に関わる仕事をしたのか? マレー博士とどのような関係を結んでいったのか? 彼は最後にどうなるのか? この物語の牽引力はこの男の側にあるのである。

原題は「THE PROFESSOR AND THE MAD MAN」。あまりに二人の立場は違いすぎた。しかしだからこそ、人類の歴史とも言える「言葉」そのものへのリスペクトと、「言葉」を用いること(読む、書く、話す…)に対する純粋な喜びが、二人に共通するものとして、さらには本作を貫く通奏低音として響いてくる。囚われの身となり病気に苦しんだマイナーが、「言葉」に触れるときだけは自由となりその苦しみを忘れられる。また、罪びとでもある彼が被害者の妻やその子どもたちと関わる場面は、残酷でありながら崇高でもある。言葉を知るということは、言葉を手繰るということは……こんなにも世界を広げるのか。私たちが当たり前に使っている言葉も、当たり前ではないということを、気づかせてくれる。「始めに言葉ありき」。それをどう使うかは、人間次第だ。


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2020年10月16日 ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開

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