(ライターブログ)プラド美術館 驚異のコレクション 

【映画の中のアート #23】 ティツィアーノの詩想画(ポエジア)

もともと日本では4月に公開予定であった「プラド美術館 驚異のコレクション」。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期になっていましたが、7月24日に公開されました。2019年に開館して200年となったプラド美術館のコレクションを紹介するドキュメンタリーです。ナビゲーターを務めるのはアカデミー俳優のジェレミー・アイアンズ。スペイン・マドリードにあるこの美術館は、1492年にレコンキスタを果たしたイサベル女王が初めての1点を購入した時から、1868年に女王イサベル2世の治世が終わるまで、王家が収集した数々の作品を収めた美の宝庫です。

ティツィアーノ「聖三位一体」

プラド美術館の目玉作品の画家と言えば、通常は宮廷画家となったベラスケスやゴヤといったスぺイン人がクローズアップされることでしょう。ですが、本コーナーでは、イタリアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/90-1576)の作品をご紹介したいと思います。

映画の中で、神聖ローマ帝国皇帝かつスぺイン王であったカール5世(1500-1558)が、晩年の隠遁生活の中で「聖三位一体」という絵画に祈りを捧げたと紹介されますが、この絵画を描いた画家こそティツィアーノです。当時イタリアのヴェネツィアで活躍していた彼の名声はヨーロッパに知れ渡り、王侯貴族はこぞって作品を欲しがりました。なぜそれほどまで? その理由は、この絵を観ればよく分かるのではないでしょうか。ティツィアーノの名を世に知らしめた「聖母被昇天」(1516-1518)。圧倒されるような上昇の構図と燃えるような鮮やかな色彩、堂々たる画風。実は私も、この祭壇画だけは生きているうちに現地に行って一目観たいと思っています。

ティツィアーノ「聖母被昇天」

宗教画や神話画、肖像画等どのジャンルもこなし、才能だけではなく自己アピール力と商才にも長け、後援者にも恵まれ、工房を率いて最期まで絵筆を握り天寿を全うしたティツィアーノは、最も成功した画家のひとりと言っても過言ではありません。彼に並びうるとしたら、後世のルーベンスのみでしょう。そしてティツィアーノの後援者の中でも高名なパトロンが、先に触れたカール5世と、息子のフェリペ2世(1527-1598)でした。

フェリペ2世と言えば、スペイン黄金時代に君臨した国王です。権力を欲しいままにした彼が、私的な目的……自分だけが鑑賞して楽しむためにティツィアーノに依頼したのが、「詩想画(ポエジア)」でした。映画では、フェリペ2世は王妃らがその部屋を通るときはそれらの絵を隠したとも紹介されています。いや、まあ、そうでしょうね…だって描かれていたのは官能的なヌードの数々でしたから。

ティツィアーノ「ダナエ」」

「詩想画」は三組の対作画として残されています。一組目は「ダナエ」と「ヴィーナスとアドニス」、二組目は「ディアナとアクタイオン」と「ディアナとカリスト」。そして三組目は「ペルセウスとアンドロメダ」と「エウロペの略奪」。本来なら、これに「アクタイオンの死」が加わり計7作による「詩想画」となるところでした。このうち、現在もプラド美術館にあるのは最初の一組の絵画で、残りは現在別の美術館が所蔵しています。これらに共通するテーマは、みなオウィディウス「変身物語」で語られている神話であるということ。例えば「ダナエ」。孫に殺されるとの信託を受けたアルゴス王が娘のダナエを幽閉したものの、全能の神ユピテルが金の雨となって降り注ぎ、2人が結ばれようとする場面が描かれています。「ダナエ」は同主題の絵が複数存在していますが、この絵ではユピテルが番人を金貨で買収したと解釈し、金の雨を金貨に変えて降らせています。「エウロペの略奪」では同じくユピテルが白い牡牛となってフェニキアの王女エウロペをさらっていく場面。ヨーロッパ(Europe)という言葉が彼女の名前から由来しているのはよく知られた話ですね。

ティツィアーノ「エウロペの略奪」

稀代の画家にこのような官能的な絵画を描かせて独り楽しむとは何とも贅沢な話です。しかし、カトリック教国の中でも特に厳格なスペインにおいて、王が密かに女性のヌードを収集していたとなればスキャンダルになると考えたのでしょう。プラド美術館開館の際には、官能的な作品群に関しては女性や子どもが観ることができないよう別な部屋に飾られていたそうです。

先に触れたように、「詩想画」は現在世界中に散らばっていますが、現在ロンドン・ナショナル・ギャラリーではなんと「アクタイオンの死」を含む7点が一堂に会して展示されています。“Titian: Love, Desire, Death”という名前の展覧会です。注文主のフェリペ2世と同じ視点で絵を観ることができるとはなんと贅沢なのでしょう。

コロナの時代において、現地に行くことは難しくなってしまいましたが、この映画のジェレミー・アイアンズのように、いつかプラド美術館にも足を運び、これら「驚異のコレクション」を観たいと思わずにはいられません。

▼絵画▼
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖三位一体」1551-1554年 プラド美術館/マドリード、スペイン
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「聖母被昇天」1516-1518年 サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂/ヴェネツィア、イタリア
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「ダナエ」1553-1554年 プラド美術館/マドリード、スペイン
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「エウロペの略奪」1559-1562年 イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館/ボストン、アメリカ

▼参考文献▼
「名画への旅8/ヴェネツィアの宴 盛期ルネサンスⅡ」 講談社
「名画で読み解く ハプスブルグ家12の物語」 中野京子 光文社新書

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