(ライターブログ)劇場版 名探偵コナン 業火の向日葵

【映画の中のアート #21】  災難続き!? ゴッホの「ひまわり」

ゆりかごを揺らす女
(同タイトルの絵は5点あり)

ここで、不思議に思う人もいるでしょう。ゴッホが模写した黄色い背景のひまわりは⑥であって、⑤ではないのではないかと。怪盗キッドはメッセージの中で「ラ・ベルスーズの(最初の模写)」と注釈を加えています。つまり、ゴッホが④を模写したのは2つあり、それが⑤と⑥であって、⑤が最初の模写に当たると言う解釈なのです。実は現実の話として、⑤の作品はゴッホ作ではないのではないかとかつて言われていました。その理由としては大きく2つ、③④⑥⑦の作品にはゴッホのサインがあるのに⑤にはないこと、そしてゴッホの手紙に⑤のことが書かれていないことが挙げられます。しかしながら、その後シカゴ美術館とファン・ゴッホ美術館の調査により、⑤のキャンバス布がアルル時代にゴッホとゴーガンのふたりが使用していたものと一致しているとされ、⑤もゴッホの真筆とされています。ゆえに、怪盗キッドもまたこれをゴッホ自身による最初の模写として⑤を指定し、美術館から盗み出すことに成功。結局のところ、怪盗キッドは「ひまわり」の身代金を要求し、損保ジャパン日本興亜美術館は鈴木財閥の力を借りて絵画を取り戻すことになります。(なお、同美術館は本作の制作にあたり公式に協力しています)

ここまで来ると、この映画で描かれていることは、実際のゴッホの「ひまわり」に関する研究やそれにまつわる事件についてよく調べられていることが分かります。それは、映画で描かれた一連の事件の真犯人の目的にも表れています。真犯人は、ゴッホの絵を守るために財閥に雇われた「7人のサムライ」のうちのひとり、絵画鑑定士の宮台なつみでした。彼女は、7つの「ひまわり」のうち②と⑤は贋作であると決めつけ、それゆえ他のゴッホの真筆と並んで展示されるのが許せず、これらふたつをなきものにしようと企んでいたのです。おかげで劇中の②と⑤は火災や水攻めなどさまざまな厄災に見舞われますが、別な者からの依頼を受けていた怪盗キッドとコナンの活躍により、最後まで無事に守られたということになります。

また、本作の興味深いところは、「日本に憧れたひまわり展」の会場となるレイクロック美術館が、徳島県鳴門市にある大塚国際美術館とどことなく似ているという点です。大塚国際美術館は、陶板で世界の名だたる絵画を再現する美術館で、一昨年にはアーティストの米津玄師がNHK紅白歌合戦でこの美術館内にあるシスティーナ礼拝堂(ホンモノはヴァチカン)で歌唱を披露したことでも話題になりました。実は2018年より、大塚国際美術館では焼失した②を含めた「ひまわり」7点すべての再現画を見ることができます。実は私も昨年鑑賞してきましたが、かつてゴッホの手元にあった7点に思いを馳せながら実物大の「ひまわり」を鑑賞することができるのは、至福の体験でした。

まもなく開幕となるロンドン・ナショナル・ギャラリー展。この機会に『劇場版 名探偵コナン 業火の向日葵』をご覧になってみてはいかがでしょうか。


ロンドン・ナショナル・ギャラリー展
(下記開催日程は2020年3月15日現在の予定)
東京・国立西洋美術館 開幕時期未定~6月14日
大阪・国立国際美術館 2020年7月7日~10月18日 
https://artexhibition.jp/london2020/

▼絵画▼
フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」
① 1888年8月制作(個人蔵)
② 1888年8月制作(日本で焼失)
③ 1888年8月制作(ノイエ・ピナコテーク/ミュンヘン、ドイツ)
④ 1888年8月制作(ロンドン・ナショナル・ギャラリー/ロンドン、イギリス)
⑤ 1888年11~12月制作(東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館/東京、日本)
⑥ 1889年1月制作(ファン・ゴッホ美術館/アムステルダム、オランダ)
⑧ 1889年1月制作(フィラデルフィア美術館/フィラデルフィア、アメリカ)
フィンセント・ファン・ゴッホ「ゆりかごを揺らす女」1889年制作(ボストン美術館/ボストン、アメリカ)

▼参考文献・資料▼
「ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅」朽木ゆり子 集英社
「ファン・ゴッホの手紙」二見史郎編訳 圀府寺司訳 みすず書房
「失われたアートの謎を解く」青い日記帳監修 筑摩書房
「Daily HIMAWARI」読売新聞東京本社発行

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