(ライターブログ)劇場版 名探偵コナン 業火の向日葵

【映画の中のアート #21】  災難続き!? ゴッホの「ひまわり」

ここで7点の「ひまわり」を整理してみましょう。便宜上、番号を振ります。
① 1888年8月制作(個人蔵)
② 1888年8月制作(日本で焼失)
③ 1888年8月制作(ノイエ・ピナコテーク所蔵)
④ 1888年8月制作(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)
⑤ 1888年11~12月制作(東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館所蔵)
⑥ 1889年1月制作(ファン・ゴッホ美術館所蔵)
⑦ 1889年1月制作(フィラデルフィア美術館所蔵)

①ひまわり

②ひまわり

ゴッホがフランスのアルルに滞在していた際に連作された「ひまわり」たち。特に1888年8月には一気に4作が描かれています。①②は他の作品と異なりまだいろいろと構図や色を試しているように見えますが、④では黄色い背景の黄色いひまわりというひとつの完成形に到達したように見えます。ゴッホが弟のテオにあてた手紙によると、かねてからゴッホ が共同生活を提案していたポール・ゴーガン(1848~1903)がアルルにやって来ることが決まり、彼の寝室に飾る目的で③④が描かれたようです。

③ひまわり

④ひまわり

そして、ゴッホとゴーガンの生活が始まったのが1888年10月23日。⑤はこの時期に描かれたとされています。ところが2人の良好な関係は長くは続かず、ゴッホの耳切り事件が12月23日に起きたことがきっかけとなりゴーガンはアルルを去りました。しかしこの悲劇的な出来事の後も彼らは関係を全く絶ったわけではありませんでした。ゴーガンがゴッホの「ひまわり」の絵が欲しいと手紙で申し出てきたのです。そこでゴッホは、自ら黄色い背景の④を模写して⑥を、緑色の背景の③を模写して⑦を描き上げたとされています。

⑤ひまわり

⑥ひまわり

さて、それら現存する6枚が一堂に会することが何故不可能なのか。実は個人蔵の①については、1948年以降、70年以上にわたり表舞台には登場しておらず、誰が所有しているのかも不明。所有者が何かの理由で手放さない限り世に出ることはない模様です。我々が目にできるのは唯一、写真だけ。さらにもう一つ、心配なのは⑥のひまわり。所蔵するファン・ゴッホ美術館は、「ひまわり」が非常に破損しやすい状況にあるとして、今後一切の貸し出しをしないとしています。ですので、実際には実現不可能な「夢」ということになります。

⑦ひまわり

映画の中では財閥のカネの力に任せ企画は実現されるわけですが、落札された「ひまわり」(②)は劇中散々な目に遭います。主人公江戸川コナン(実際は高校生探偵工藤新一)のライバルでもあり、いつもは宝石しか狙わない怪盗キッドがなぜか「ひまわり」を頂くと挑戦状を送りつけてきたのです。加えて、日本へ輸送する途中、飛行機に爆発が起きて絵が空中に放り出されたり、過酷な場所に放置されるなど、美術ファンならば(そうでなくても)「絵が無事なはずがない!」と思う程の困難が襲います。

一方、日本に到着すると今度は日本にあるもうひとつの「ひまわり」にも受難が訪れます。現在も損保ジャパン日本興亜美術館にある、⑤のひまわりです。怪盗キッドは「ラ・ベルスーズの左(最初の模写)を頂く」と新たな挑戦状を送りつけてきました。「ラ・ベルスーズ」とは、ゴッホがルーラン夫人をモデルに描いた「ゆりかごを揺らす女」のこと。ゴッホは弟への手紙の中で、「ゆりかごを揺らす女」を中心とし、その左右を「ひまわり」に配置する三幅対が理想だと図まで描いて説明しています。ゴッホは、女性の肖像画を聖母マリア的な存在として捉え、左を黄色い背景ひまわり、右を緑の背景のひまわりを置く構想を抱いていました。

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