【TNLF】ザ・コミューン
70年代中盤コペンハーゲンの郊外、建築学の教授エリック(ウルリク・トムセン=アダム!)は、広い屋敷を相続する。テレビ局でニュース・アンカーを務める妻アンナ(トリーヌ・ディルホム)と娘1人の3人家族では、あまりに広すぎると、エリックは家を売ろうと考えていたが、アンナの提案で、友人たちを招き共同生活を始めることになる。いわゆるコミューンだ。70年代の北欧では、こういうことが、ちょっとしたブームになっていたようである。すぐに思い出されるのは、第1回のTNLFで上映された『エヴァとステファンとすてきな家族』(00年)である。こちらは1975年のスウェーデンが舞台となっていたが、北欧全体でこのようなムーヴメントがあったようだ。今でこそ男女平等を実現しているということで、北欧は有名だが、60年代末の学生運動の時代までは、決してそのような社会ではなかったのである。『エヴァとステファンとすてきな家族』に描かれているように、70年代というのは前の時代を受けて、家族の形というものを模索していく時代だったのだ。
なぜ今になってトマス・ヴィンターベア監督は、この時代を取り上げる必要があったのか。自身の思い出を描きたかっただけなのか。当時彼がまだ、5歳か6歳くらいの年齢だったことを考えると、それだけではないような気がする。『エヴァとステファンとすてきな家族』におけるコミューンのメンバーが、思想にかぶれた銀行の頭取の息子、当時としては珍しい女性のような髪形をしたLGBTの男、脇毛を剃ることは女性が抑圧されている何よりの証拠と主張する女性、一夫一婦制なんてナンセンスと信じている女性など、かなり急進的な人たちだったのに対して本作は、大学の教授から、離婚で打ちひしがれていた男、無職の男まで、特に思想的ではないところが大きく異なっている。もちろん思想がないわけではないが蓋を開ければ、マンネリになりつつある夫との関係をリフレッシュしたいとか、楽しそうだからとか、単に住む家がないからだとか、その程度の理由で集まってきているのである。提案したアンナでさえ、この歳になってコミューンなんてどうなのかしらって言っているくらいだから、年齢層も割りと高い。
いわば、ここに集まってきた人たちというのは、その時代でなくとも、今の時代にも普通にその辺にいる人たちなのである。特にアンナとエリックの夫婦は、お互い職業的にも社会の第一線にいる人たちなので、思想的にこうでなければならないという前に、物理的に対等の関係で日常を過ごさざるをえない人たちなのだ。コミューンを作らなくても、普通に現代と同じような時間を生きていたとも言えるだろう。そう考えると、この映画におけるコミューンは、ひとつの実験室のようなものとは考えられないだろうか。現代に生きる人たちとさほど変わらない人たち、言い換えれば、既に男女平等の社会を実現したこれらの人たちを、コミューンという名のひとつの枠に閉じ込めて、果たしてこの社会では本当に男女平等が実現されているのだろうかということを、改めて問いかけようとしていたのではないだろうか。
当初からコミューンに懐疑的だったエリックは、どこか居心地の悪さを感じていた。そんな時、彼は自分の講義を受講していた女子学生と恋に落ちてしまう。偶然、娘に浮気の現場を発見された彼は、そのことを妻に告白してしまう。アンナは動揺を隠しながら、自分から愛人をコミューンに迎え入れたらという提案をしてしまい、コミューンは徐々にギクシャクしていく。このような時、男女平等とはいいながら、女性の立場は最悪のものになることを、トマス・ヴィンターベア監督は執拗に見せる。愛人と妻の間がギクシャクして、そのことを愛人から相談されたエリックは、自分が当事者の中心であるにも関わらず「女同士の問題は自分たちで解決しろ」と冷たく突き放す。さらには妻がそのことで取り乱し、長年してきた仕事を失った時も、彼は意に介さないといった有り様だ。
元々アンナ自身は、愛人をコミューンに迎え入れるという提案をすることで、何とかエリックの気持ちを繋ぎとめて置こうという思いがあったのだが、エリックにはその気持ちは伝わっていない。むしろ調子に乗って、妻に聴こえるのもお構いなしに愛人とSEXはするし、2人きりになる機会さえ妻から奪ってしまうのである。そのことで妻が不満を漏らせば、エリックは、彼女を迎え入れると提案したのはそちらのほうだろうと、冷たく突き放すのみである。コミューンのなかでアンナは孤立し、いつしか精神のバランスまで崩していく。コミューンはコミューンで、当初は男女平等でリーダーは作らないと言っていたはずが、いつのまにか男性がリーダーとなっており、女性の意見は聞き入れられにくくなっている。理不尽ではあるが、コミューン(社会と置き換えてもいい)は決して彼女に味方することはないのである。
なぜ今になってトマス・ヴィンターベア監督が、この時代を取り上げる必要があったのか。その答えはここにある。社会環境が整備されているからといっても、本質的な部分を見てみれば、依然として男女の間には、強者、弱者の関係が存在している。むしろ制度の上にあぐらをかき、見えないところで差別が起きているのである。そのように考えると、トマス・ヴィンターベア監督は、かつてその場所で家族の形というものを模索したのと同じ理由で、コミューンという装置を利用したのだとも言える。
【開催概要】
トーキョーノーザンライツフェスティバル 2020
会場:ユーロスペース、アップリンク渋谷
会期:2020 年2 月8 日(土)~2 月14 日(金)
チケット先行販売:2020年1月11日~24日 1300円均一
チケット一般販売:一般/1500円ほか 各上映3日前よりオンライン、窓口にて
公式 WEB サイト:http://tnlf.jp/
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