『巡礼の約束』ソンタルジャ監督

政治的、宗教的な議論には興味がありません

チベット高原の東端にある山あいの村で、ウォマは夫ロルジェ、ロルジェの父と3人で暮らしている。ある日、病院である事実を告げられたウォマは、五体投地でラサへ巡礼の旅をすると決意。出発前に実家を訪ね、両親に預けている亡くなった前夫との息子ノルウに会おうとするが、見捨てられたと思っているノルウは心を開いてくれない。
妻の事情を知ったロルジェは、彼女を追って旅に合流。やがてノルウもやって来て、3人はそれぞれの思いを抱えながら旅を続けていくが・・・・・・。

2月8日公開の『巡礼の約束』は、『草原の河』(2017年)が日本でも好評を博したチベット出身のソンタルジャ監督の最新作だ。チベットの厳しい自然、人々の心の寄りどころである信仰を見つめたロードムービーとしての面白さに加え、血の繋がらない父と子の旅路、夫と妻の複雑で深い結びつきを描いた人間ドラマに圧倒される。

来日したソンタルジャ監督に、制作の裏話、近年存在感が高まっているチベット文化圏の映画事情やご自身の経歴についてお話を聞いた。

ソンタルジャ監督


第一稿にはなかった巡礼と夫婦の物語

ーー本作の主演俳優(ロルジェ役)で、プロデューサーでもあるヨンジョンジャさんから最初に持ち込まれた脚本はラブストーリーだったそうですね。

脚本を書いたタシダワさんはチベット文学の作家です。彼による脚本の初稿を読んだ時、もし私が監督するなら大幅な書き換えが必要だと思いました。タシダワさんの住むラサに飛んでお酒を飲みながら私の考えを聞いてもらい、すべて任せてもらえることになったのです。

もともとは確かにラブストーリーで、漢族の女性がチベットに行き、そこで出会った男性と恋に落ちるというものでした。最終的にこの映画で主人公にしたロルジェの話はサイドストーリーだったのですが、私はこのラブストーリーの部分をばっさり切って、巡礼のエピソードと、ウォマの前の夫と現在の夫との関係のエピソードを付け加えました。

ーーラブストーリーの部分が気に入らなかった理由は?

漢族の観光客とチベット族の若者の恋が、嘘っぽいなと思ったからです。

ーー現実にもあり得る話ではありますよね?

現実には普通にあると思いますよ。でも、描写がロマンティックすぎたのです。「2年後にあの場所でまた会おう」なんて、テレビドラマみたいなありきたりの設定や、鳥肌の立つようなセリフ……。全てが好きではなかった(笑)。

ーーロルジェとその息子ノルウは旅の途中、いろいろな人に助けられます。ヒッチハイクをすれば車がすぐ停まってくれるし、見知らぬ2人に食事を提供してくれる人もいる。他人の為に何かをするという行為は、チベットでは普通のことなのでしょうか?

よく見られる光景です。その理由については、私もずっと考えていました。たとえば、チベットに比べて、東京では人と人の関係がとても密接だし、距離も近いですよね? チベットだと、まず考えるべき問題は、人と自然の関係なんです。人と話をしたり、交流する機会は貴重。これがまず1つ目の理由。2つ目は、たぶん宗教的な理由で、他者の信仰を励ます気持ちがある。

ーー確かに、東京で日々満員電車に乗っていると、人に会うのも疲れてきます・・・・・・。

そういうことです。チベットでは、遙か遠くの地平線に黒い点が見えて、それが次第に大きくなり、人だと分かるとすごく嬉しい(笑)。

増えるチベット出身の映画人

ーーウォマを演じたニマソンソンさんは、演劇の名門大学・中央戯劇学院を卒業している女優です。監督はこれまで素人をキャスティングすることが多かったと思いますが、近頃はチベット人のプロの俳優も増えているのでしょうか?

まだ少ないですが、ここ2、3年で増えてはいます。俳優だけではなく、監督や映画に関係する分野を学ぼうとするチベットの若者は増える傾向にありますね。チベット人の間で映像産業に関わる人が増えているこの現象に、他の少数民族はちょっと嫉妬しているかもしれません。内蒙古電影制作厰(映画製作所)などは設立(1958年)から歴史は長いですが、自分たちの言語で自分たちの思いを表現できる機会が少なかった。だから、このチベット映画人の現状はとても貴重なものだと思っています。

ーーその背景は?

ペマツェテン(『オールド・ドッグ』『タルロ』など)の功労が非常に大きいと思います。チベット語の映画で自分たちの思いを表現する道を切り開いた。彼は芸術家としても、映画監督としても、自覚的にそれらを行っている。以前は、中国の電影制作厰の映画づくりといえば国の事業の1つでしたが、デジタルやあらゆる科学技術の普及によって、若者に多くの可能性が広がった。「可能性」というのはとても大事なことです。

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