【FILMeX】春江水暖(コンペティション)

人々の日常は、悠久の歴史絵巻の一部である

 『春江水暖』は水墨画の「富春山居図」から取ったタイトルだという。唐の詩人蘇東坡がこよなく愛した西湖と富春江の風景。春江水暖鴨先知。「恵崇春江晩景」の一節である。まさにこの作品は、一遍の絵巻物を見るかのように美しい。江南で最も美しい季節と言われている春から夏秋冬とめぐる季節の中で織りなされる一つの家族のドラマ。祖母の誕生日から、その死とお墓参りまで、人々の人生もまた四季の移り変わりのように巡っていく。

 中心を富春江が流れている。岸辺では青々とした立派な柳が枝を揺らし、突然の春雨にその姿を煙らす。船から岸辺を眺めているとき、その前方から突然雨雲が近づき、雨が下流のほうに滑るように、川面を走り抜けていく。その様子を捉えたカメラの美。川べりを仲良く、おしゃべりに夢中になって歩いていく孫娘とその恋人。その様子を、川の側からロングで、彼らの歩みにぴったりと寄り添って付いていく長回しのカメラ。2人の周りには、犬を連れて散歩する人、物思いにふける老人、子供たちと遊ぶ家族、川を泳ぐ犬や人など。その様子が次から次へと流れていくところは、まるで絵巻物のようである。その時間は15分くらいであっただろうか。単に2人の他愛ない会話が流れ続け、景色が横に流れていくだけというのに、全く退屈することがないどころか、至福さえ感じてしまう。こんな味わいの作品をかつて観たことがあったであろうか。

 今では杭州市の中に組み込まれた、富陽区。この辺りは2200年以上もの歴史があり、すぐれた水墨画、文学、書(王義之)を生んだ、風光明媚な土地。そこにも開発の波が押し寄せている。高速鉄道の開通によって地価はうなぎのぼりに上がり、高層マンションが次から次へと建つ。再開発で古いものがどんどん取り壊されていく。「あなた、こんな小さな商売なんかしてないで、もう少し前に不動産買っておけば良かったのに。私なんて3個買っていた家が、今では随分値上がりしたのよ」こんなお節介なお客さんが魚屋さんを訪れる。その反面、かつては公害が問題になっていたこの街の主幹産業の製紙工場は、古くなり廃れ始めているようにも見える。時代が変わり大きな変化がこの街を覆っている。そんな影響が、この一家にも確実に影を落としている。

 脳梗塞で倒れ、認知症になった祖母を預かる長男一家は、娘の結婚問題で母と娘の間が険悪になっている。魚を捕り市場で小さなお店をやっている次男は、家が立ち退きとなり保証金を貰ったものの、住む家が見つからず舟の上で暮らしている。40近くなって婚活中の末っ子は、投資で失敗しビルの解体作業の仕事をしている。そんな兄弟たちに、博打で謝金が嵩み、かつダウン症の子供を抱えたこの一家の問題児三男がお金の無心をする。どこの家もお金の問題を抱え、この映画ではそれらが明け透けに語られている。家族の問題にしても、祖母の住む家を巡って兄弟たちがたらい回しにしようとしたり、嫁と祖母の関係があまりよくなかったりと、どこにでもある話が繰り広げられる。

 長男一家の娘は幼馴染の学校教師と結婚したいのだが、母親はそれを許さない。自分がお金に苦労し、一家のために働き詰めであったことから、娘にはそんな思いをさせたくないという親心から、それとお金もちと結婚すれば、お店の借金が一遍に返せるという打算からである。頭が朦朧としながらも、それをたしなめ孫を守ろうとする祖母が間に入る。一家三代の女性たち、それぞれの思いが交差するのだが、彼女たちの生きてきた道をおぼろげながらも写し出し、その気持ちを描いていて、決して誰が悪いということにはなっていないところが、30歳になったばかりの監督の作品とは思えない。

 ひとつひとつの話自体は、かなり生々しいものである。しかも街自体も色々と問題を抱えているのが見えるというのに、この作品は、それらも悠久の歴史の中のひとつの風景と捉えているかのような、大きな視点を持っている。まるで彼らも富春江の自然の一部であり、水墨画の一場面でもあるかのように。おそらく、監督のグー・シャオガンはこの街に生まれ、大家族の中で育ち(出演している人たちは、すべて彼の家族または近所の人たちだという)、この街の文化を身体いっぱいに浴びてきたのだろう。山紫水明なこの地の風景、その元に生まれた数々の芸術作品、長い年月を経て刻まれた歴史の痕跡、それらすべてを自分の血と肉にしたその上に、この映画が存在するというような感じを受ける。2時間半あまりのこの作品の最後には、第一部「完」という文字が表れる。何とこの映画自体が、これから続く絵巻物の一部に過ぎないのであった。これから先の物語もとても楽しみだ。



▼第20回東京フィルメックス▼
期間:2019年11月23日(土)〜12月1日(日)
【メイン会場】有楽町朝日ホール(有楽町マリオン)11/23(土)〜12/1(日)
【レイトショー会場】TOHOシネマズ日比谷11/23(土)〜12/1(日)
【映画の時間プラス会場】ヒューマントラストシネマ有楽町 (11/23(土)のみ)
主催:認定NPO法人東京フィルメックス
共催:朝日新聞社
公式サイト https://filmex.jp/2019/

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