【FILMeX】気球(コンペティション)

現実と伝統と国家権力の間から見えてくる微かな希望

Q&Aに登壇したジンパ

 この作品は一見すると、チベットの人々の日常をとてもオーソドックスな描き方で淡々と綴ったように見える作品だが、チベット文化の描写にもかなりの時間をかけている。特にお葬式の場面には目を瞠るものがある。どこからともなく、大勢のチベット僧がやってきてお経を唱え、故人を白い布で包み大勢で運び荼毘にふすまでの一連の儀式を通して見せていく。通夜の明け方、主人公である夫(ジンパ)が、自分の父親が三途の川を渡っていくのを夢で見るシーンの美しさは圧巻だ。黄金色に輝く西の空を背景に川を渡っていく様子が、水面に映る影で表現され、荘厳な感じがする。お葬式の後、夫は僧侶から次に生まれてくる家族が父親の生まれ変わりになると告げられる。勿論、宗教儀式、輪廻転生は、チベット文化の根幹をなすものである。迷信といって片づけられるものではない。

 妊娠した妻にしても、医師の親切なアドバイスで、決して救われるわけではない。そもそも4人目の子供を産んでも罰金が科せられることがなく、子供たちがこの地で昔ながらの生活を続けられる環境さえあれば、お金の心配などすることなく、それほど迷うことはなかったはずである。伝統と政治の板挟みになり一番苦しむのは、一番弱い立場の女性である。結局産んでも産まなくても、この世界で彼女に救いはなかったのである。それでも、彼女は救いを求めて妹とお寺に出かけていく。老若男女を問わず、やはり最後の拠り所となるのは、チベットの伝統的仏教なのである。このことは、いくら中央政府が躍起になったところで人の生死にまつわる価値観だけは決して変えられないことを何より示している。経済的な問題で、子供を増やすことも確かに合理的な選択とは思えない。けれども、そこに国が関与することは、それとは全く別の話しである。伝統もすべてがいいとは思えないが、どこまでそれを守っていくかは、それぞれの民族、人の価値観に任せられるべきものなのである。

 子供たちに風船にされて遊ばれた政府が配ったコンドームは、決して空高く舞い上がることがなかったが、父親が買ってきた大きな赤い風船のひとつは割れて、ひとつは空へと舞い上がる。それがバラバラになった家族の心をひとつに繋げる。偽物の風船から始まり本物の風船で終わるこの映画。子供たちが最初から最後まで風船を欲しがっていたことからすると、風船には希望の意味が込められていると解釈できるだろう。本物の風船も時には破裂してしまうこともあるけれど、空高く昇っていける風船もある。ただ偽物の風船では決して人を幸せにすることはできないのである。風船にはそんなメッセージが込められている。検閲下でもこのような映画が製作できたことは驚きではあるが、それはまったく逆の解釈も可能な作品になっていたからこそであろう。上映後のQ&Aで、主演俳優であるジンパ自身が、この作品は、観た人それぞれの人が自分で解釈してくださいと言っていたことが、何よりこの映画の本質を表しているのかもしれない。



▼第20回東京フィルメックス▼
期間:2019年11月23日(土)〜12月1日(日)
【メイン会場】有楽町朝日ホール(有楽町マリオン)11/23(土)〜12/1(日)
【レイトショー会場】TOHOシネマズ日比谷11/23(土)〜12/1(日)
【映画の時間プラス会場】ヒューマントラストシネマ有楽町 (11/23(土)のみ)
主催:認定NPO法人東京フィルメックス
共催:朝日新聞社
公式サイト https://filmex.jp/2019/

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