(ライターブログ)ハウス・ジャック・ビルト

地獄を旅する男 【映画の中のアート #19】

毎回の作品が物議を醸すことで知られるラース・フォン・トリアー監督。新作『ハウス・ジャック・ビルト』は、端的に言えばシリアルキラーが異常な殺人を重ね地獄に堕ちていく話です。癖の強いトリアー監督なので、正直なところ私は観ようか観まいか迷っていました。が、公開後にひとつのポスターを見かけて俄然行く気になりました。最初からこれを知っていたならもっと早く観に行っただろうな。それは、ドラクロワ作「ダンテの小舟」を模した映画のアートポスターです。

ドラクロワ「ダンテの小舟」

ダンテと言えば「神曲」。日本人にはなじみが薄いかもしれませんが、西洋の人間が思い浮かぶ「地獄」は、この「神曲」が大きく寄与しているとされています。ダン・ブラウン原作、ロン・ハワード監督作の『インフェルノ』(2016)では、ボッティチェリ(1445~1510)の描いた「地獄の見とり図」(1490)を登場させ、ロバート・ラングドン教授に「その後の地獄のイメージを確立した」と言わしめていますね。


ボッティチェリ「地獄の見取り図」

第九圏まである地獄の構造とは、(1)リンボ(辺縁)(2)邪淫(3)飽食(4)貪欲(5)憤怒と怠惰(6)異端(7)暴力(8)邪悪(9)裏切り。そし地獄は漏斗型の多層構造になっていると言います。ボッティチェリは「神曲」の挿絵を数多く描いており、先述した映画『インフェルノ』の前半部分では、ラングドンが「地獄の見取り図」に仕組まれた暗号を読み解き、ウフィツィ美術館にあるダンテのデスマスクに辿り着く過程がスリリングに映像化されています。

ダンテ・アリギエーリは1265年にフィレンツェに生まれた政治家・詩人。1302年に政変に巻き込まれて祖国を追われ、その後イタリア諸都市を遍歴し、長編叙事詩「神曲」(1306~1321)を世に出しました。35歳の主人公ダンテ(=自分)が、古代ローマに実在し「アエネイス」を著した詩人ウェルギリウス(前70~前19)の案内で地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)を、理想の恋人ベアトリーチェの導きで天国(Paradiso)を巡る旅の物語です。ラテン語ではなくトスカーナの方言で書かれたこと、聖書・神話上の人間や実在の人物を登場させたことなどで当時から人気を博したとされています。その後ダンテはラヴェンナで亡くなりました。享年56歳。最後まで故郷に帰ることは叶いませんでした。

ロセッティ「ベアータ・ベアトリクス」

発表されたのは700年も前ですが、現代に至るまでさまざまな芸術家をインスパイアした「神曲」。ボッティチェリのほか、ウィリアム・ブレイク、ギュスターヴ・ドレ、サルバドール・ダリも挿絵を描いています。作品としては、有名どころではやはりミケランジェロ「最後の審判」(1536~1541)が挙げられるでしょう。また、ラファエル前派のロセッティはダンテ作品に傾倒し(画家の名もダンテ・ガブリエル・ロセッティ)、ベアトリーチェをモチーフにした絵を残しています。彫刻では、現在世界に7つのブロンズが存在するロダンの「地獄の門」(1880-90年頃)。地獄の門に掲げられた「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という有名な文言を聞いたことのある人も多いのでは。興味深いのは、天国よりも地獄のモチーフが目立つこと。世の人間の関心は天国よりも地獄にあるのでしょう。ブッダとキリストが現代日本の東京都・立川市にバカンスに来たと言うキテレツな設定の人気コミック「聖☆おにいさん」(作・中村光)では、「天国ツアーは人気がない。むしろ地獄ツアーの方がきっと人気が出る」というくだりがあって、妙に納得した覚えがあります。今で言うテーマパーク的な要素が地獄には揃っているのでしょうね。

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