誰もがそれを知っている
アスガー・ファルハディ監督の最新作は、スペインの田舎町が舞台。ラウラ(ペネロペ・クルス)は妹の結婚式で子どもたちとともに故郷に帰ってきた。幼なじみのパコ(ハビエル・バルディム)や家族と久しぶりの再会を喜び合う中、結婚パーティーの夜に娘イレーヌが姿を消す。必死で探すラウラ達だが、娘を誘拐した、警察に知らせたら殺すとのメールが届く。第71回カンヌ国際映画祭オープニング作品。
ファルハディ作品に共通するのはある不在-もしくは、存在していても何も語れない者の存在-がもたらす不穏だ。『彼女が消えた浜辺』(09)ではエリと言う名の女性が姿を消したことにより、実は彼女のことを何も知らない(フルネームさえも)ことが明らかになる。『別離』(11)では、認知症の父親。言葉も発せられないので、ある時間帯に一体何があったのか分からない。『ある過去の行方』(13)はいくつかの夫婦や親子の形を描きながらも、自殺未遂の末に植物状態になってしまった女性を登場させる。なぜ自殺したのか、その原因となったものは何なのか、本人から語られることはない。『セールスマン』(16)では、主人公夫婦が引っ越した先の、前の住人である女性。彼女の不在により不幸な事件が起こってしまう。本作では、忽然と姿を消した娘だ。
そしてその「不在」が、一方の存在している側の人間たちの心情、あるいは本人たちも知らなかった本性を露わにしてゆく。さらに登場人物たちは各々の事情から事実を言うことを伏せており、それが後になって大きな問題となったり、状況を一層複雑にしている。なぜ言えないのか。なぜ隠すのか。なぜ嘘をつくのか。そこに地域性や時代性が絡まっていく。一方「嘘」と対照的なのは作品に登場する幼い子どもたちで、大人たちのしがらみや狡さといったものの対極にあり、時にはその犠牲にもなってしまう。
そのうえで本作を観てみると、舞台となるスペインのとある町には、田舎特有の空気感が付きまとう。誰もが素性や生い立ちを知っていること、余所者を嫌うこと、町を出ていくのにも相当なエネルギーが伴うこと、そして残されたものが抱く、出て行った者への羨望や妬み。これまで、都市部に住む人間にスポットライトを当て、また自身の出身地であるイランの風土を絡めて描いてきたファルハディ監督のなかでは、本作は異色な設定と言える。
ラウラが里帰りすることで起こる波紋、そしてイレーヌの失踪。幼い弟ではなく何故年長の娘が消えたのかという点に、様々な憶測が成される。狂言ではないのか。誘拐だとしたら犯人は誰か。全くの外部の者か、結婚式に紛れ込んだスタッフか、あるいは身内の者か。つぎつぎと炙り出される容疑者。特に、犯人は身内ではないかと告げられた時の、互いが互いを疑心暗鬼の眼で見る様は胸が苦しくなる。なぜイレーヌの父親は一緒に来なかったのか。なぜラウラの家族はパコに冷たいのか。小さな嘘がさらに別の嘘を呼び、ぶつけられた疑念が、そして暴露された時の真実が、車輪のように次々と人々を傷つける。なんと容赦のないことだろう。嘘をついてはいけないことは誰もが知っている。だが、何かを、誰かを守るためにつかれた嘘もあるはずで、一生背負っていこうと覚悟する人間もいる。真実が暴かれた時、人は果たして幸福なのか? ファルハディ作品はいつもこの問題を突き付ける。そして謎が明かされ表面上の問題が解決したとしても、真の問題(修羅場)はむしろここからだ、という絶妙のところで映画は終わる。いわゆる「イヤミス」だ。だから観客はその覚悟でいつも臨まねばならない。しかも本作のタイトルは『誰もがそれを知っている』(英題:EVERYBODY KNOWS)。アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」のように、もしかして全員が犯人なのか? という疑念すら筆者は抱いてしまった(どちらも誘拐事件が発端だし)。最後の最後まで謎が分からない、あるいは明かさずに終わるパターンか? などとエンドロールが出るまで気が抜けないのである。
と、よくまあ毎回こんなプロットを考え出すなあと思うのだが、本作は、監督がスペインで目にした行方不明の子どもの写真を見たことをきっかけに長年構想を練っていたのだそう。しかも実際に夫婦であるハビエル・バルデムとペネロペ・クルスを当て書きしたとのこと。かつては本気で愛し合った二人、だが今はそれぞれに家庭を持っている。だからこそ言えない真実もあり、なのに誰もがそれを知っていたと言う皮肉。事件の収束後、男は何もかも失い、女はかつて持っていたものを取り戻して去っていく。男にとっては不幸な結末だが、実生活では仲睦まじい夫婦であることにちょっとホッとした鑑賞後でもあった。
© 2018 MEMENTO FILMS PRODUCTION – MORENA FILMS SL – LUCKY RED – FRANCE 3 CINÉMA – UNTITLED FILMS A.I.E.
6/1(土) Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
2019年8月21日
「誰もがそれを知っている」
妹の結婚式に出席するため、生まれ育った故郷のスペインの実家を年頃の娘と幼い息子を伴ってアルゼンチンから訪れたラウラ(ペネロペ・クロス)。夫は仕事で今回は参加できなかったが、母子3人でのバカンスもなかなか良い。それに故郷はやはり馴染める…と思いたい。変わらない風景と出迎えてくれる家族。妹は幸せいっぱいではちきれんばかりに美しく、久し振りに再会した父は年を取って体が弱ってきたが昔のようにプライドを持ちつつ、母と共に歓待してくれた。娘イレーネ(カルラ・カンプラ)も年齢の近い男友達ができたようで、楽しいバカ…