メモリーズ・オブ・サマー

少年時代最後の夏「あの頃太陽は輝いていた」

樹々に秋のベールが薄っすらと掛けられ始められる頃、かしこまった格好をして母親の後に付いていく12歳の少年ピョトレック。やがて踏切に差し掛かると、彼は線路の真ん中で突然あゆみを止めてしまう。母親は踏切を渡り切り遮断器の向こう側、線路の向こうからは汽笛を鳴らして蒸気機関車が近づいて来る。一体どういうことかと思う間もなく、映画はこの夏の始まりに戻っていく。思いがけないファースト・シーン。しかし、この一瞬が、喉の奥に刺さった魚の小骨のように引っ掛かりつづけ、眩しいまでに煌く夏の光の中に、陰を落とす。

母親と一緒に石切り場の池で泳ぎ、日光浴をしたり、チェスをしたり、ラジオを聴きながら昼食をしたり、そんな幸せそうな風景も儚い夢のように感じられてしまう。もし冒頭のシーンが無かったら、これらは単なるノスタルジーで終わっていたかもしれない。しかし、それがあるためにピョトレックが感じている不安気で頼り気無い気持ちを、観客もまた共有できるのである。

ピョトレックの家は3人家族である。父親は海外に出稼ぎに行っているため、夏休みといえども、他所の家のように遠出をすることもなく、母と子2人だけで過ごすことになる。映画のポスターにも使われている、一見幸せそうに見える回転ブランコのシーンに、この家族の形が象徴的に表れている。先頭に父親、一番後ろに母親の愛が恋しい少年、その真ん中を母親が行きつ戻りつしている。空中に浮かんでいる不安定さが家族の危機的状況を表し、もの凄いスピードで回転するブランコの遠心力が、家族がバラバラになっていくことを暗示させる。

最初は楽しく始まった夏休みだったが、不安は現実のものとなる。母親がピョトレックを家に残して毎晩出かけるようになり、2人の間に溝ができはじめるのだ。母親を自分の元に留めて置きたい少年は、出かけようとしている母親の白いドレスにジュースをわざとこぼす。白いドレスにできた赤い染みは、もはや母親が何をしに出掛けているか感づきはじめた彼にとって、純白そのものだった母親のイメージが終わったことをも意味している。

その日の夜遅く、不倫の相手から真新しいドレスを買ってもらった母親は、上機嫌で帰宅する。鮮やかな花柄のドレスを着た彼女は、まるで娘時代に戻ったかのように見え、もはや少年が知っている母親ではない。もしかすると、夜、母親の跡を付けていき、暗闇の中に彼女が溶け込んでいってしまったと思った瞬間、突然現れる迷子の小鹿は、彼の分身だったのではなかろうか。母親に無理に頼んで添い寝してもらった夜、雷の音で目を覚ますと、母親の姿はベッドから消えている。その雷鳴が2人の間を決定的に引き裂いてしまったのではなかったか。

石切り場の池に、都会からやってきた少女マイカを連れていき、母親と共に過ごした時間と同じようにして遊ぶのは、最初は、母親との距離感が広がった寂しさを埋めるためであったのだろう。石切り場からの帰り道、自転車で母とピョトレックが田舎街の道を疾走した時、初めて母親が1人の女性であることを感じたのと同じように、マイカと一緒に疾走する中で、初めて彼女に淡い恋心を彼が感じるのも興味深い。少年時代との永訣は、この時から既に始まっていたのかもしれないからだ。

そういう意味では、この石切り場の池は、彼の心の風景を写す鏡とも言える場所とも言える。後にここは、少年時代にもはや後戻りできないことを、彼に突き付けることになるのである。このようにこの作品は、交わされる会話は決して多くはないが、映像が少年の置かれた状況、感情の変化を丹念に紡いでいっている。そういう意味では、映像の叙情詩とでも言うべき映画である。

またこの作品は、1970年代末のポーランドが舞台であることも重要な意味を持ってくることだろう。80年代初頭、戒厳令がしかれる直前の最後の伸びやかな時代。反体制的なアンジェイ・ワイダ監督が、ポーランド映画人協会長でいられた時代である。自転車で母と息子が田舎街の道を疾走するシーンに、どこか自由な空気が感じられたのは、そうしたこともあるはずだ。ラジオから流れる音楽番組、テレビの番組、レコードから流れるヒット曲、この時代を生きてきたポーランドの人たちにとっては、そんな時代背景も相まって、特別な感情が生まれることだろう。少年時代のノスタルジーというには、痛すぎる感じがするのは、こうした背景があるからに違いない。この作品では、雨、水が何度か象徴的にあらわれるが、文字通り水に流されていってしまった過去は、もう決して元に戻せないのである。

(C)2016 Opus Film, Telewizja Polska S.A., Instytucja Filmowa SILESIA FILMOWA, EC1 Lodz -Miasto Kultury w Lodzi
※6月1日YEBIS GARDEN CINEMA/アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

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