幸福なラザロ
人は嫉妬する生き物だ。自分より幸せな者は妬ましく、他者のほうが不幸だと思えば優越感に浸る。
SNSなどを見ていると、恵まれた人やお金持ち、“マジョリティの常識”から外れた人を叩きたがる「不寛容」が蔓延している。他人の余裕が我慢ならない。そんな空気の中で生きている者にとって、『幸福なラザロ』の主人公ラザロはまさに聖人。この映画は、ラザロの穏やかな瞳を通して、人間のエゴと他者を攻撃する虚しさを突きつける。
(あらすじ)
イタリアの小さな村で暮らす純粋な青年ラザロと村人たちは、侯爵夫人の小作人としてタバコ農園で働かされている。物語の時代設定は20世紀後半だというのに、まるで中世のような後れた暮らしを送る村人たち。小作人制度は廃止されているのに、外の世界と隔絶された彼らはそれを知らず、“領主”によって搾取され続けている。
ある時、侯爵夫人の息子タンクレディがラザロを巻き込み狂言誘拐事件を起こす。だが、警察に通報されたことをきっかけに、村の実態が明るみに出ることに。異様な詐欺事件に世間は騒然。村人たちは初めて外の世界へ出ていくことになるが、その時、ラザロの身にはある事が起きていた。
惰性で生きる村人たちの中で唯一、ラザロはよく働く。とにかく善良で、人から押しつけられた面倒も嫌がらない。ピラミッドの底辺で搾取される者は、えてして自分たちよりさらに下層の存在をつくりたがる。人が善すぎるラザロはまさに格好の餌食で、村人たちは彼に冷たく、彼を利用し、彼を軽んじる。
搾取してきた側のタンクレディもまた、人を疑うことを知らないラザロに複雑な感情を抱く。己の境遇はエゴがもたらした結果という事実を棚に上げ、まっすぐ生きる者を妬む。
何をされても穏やかなラザロの瞳は、タンクレディの満たされない何かを浮かび上がらせはするが、癒やすことはない。ラザロ以外の人は、どこか棄てきれないエゴを抱えて生きていく。
1981年生まれのイタリアの女性監督アリーチェ・ロルヴァケルは、寓話性に富んだストーリーを用いて「善く生きること」の美しさと難しさを問いかける。脚本も担当した本作は、2018年カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞。長編2作目の『夏をゆく人々』も、やはり2014年のカンヌでグランプリを受賞しており、早くもイタリア映画界を背負って立つ存在として注目されている。本作にも出演しているイタリアの有名女優アルバ・ロルヴァケルは彼女の姉だ。
『夏をゆく人々』は、トスカーナを舞台に養蜂で生計を立てる一家のある夏の終わりを、大人への入り口に立つ少女の視点で切り取った自伝的作品だった。2作品に共通するのは、現在の社会の価値感ではかると「愚鈍」と言われかねない純粋で正直な人々を描いていること。善人は本来善きものであり、尊敬されて然るべき。なのに、誰もがそうはなりたいと思わず、「損してるだけだ」と彼らの生き様をバカにする。だけど、彼らの高潔さを、この監督は信じている。まだ30代。これからの作品も楽しみだ。
4月19日(金)よりBunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー