THE GUILTY/ギルティ

ワンシチュエーションサスペンスが炙り出す、想像力の偉大さと危うさ

※これから映画を鑑賞される方はご注意ください
緊急通報指令室のオペレーターであるアスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は、ある事件をきっかけに警察官としての一線を退き、交通事故による緊急搬送を遠隔手配するなど、些細な事件に応対する日々が続いていた。そんなある日、一本の通報を受ける。それは今まさに誘拐されているという女性自身からの通報だった。彼に与えられた事件解決の手段は「電話」だけ。車の発車音、女性の怯える声、犯人の息遣い……。微かに聞こえる音だけを手がかりに、「見えない」事件を解決することはできるのか―。(公式サイトより)

この映画では、電話越しの声や背景の音だけで現場を想像する。主人公だけではない。観ている私たちもだ。想像力がこの映画を成り立たせている。だが結局のところそれは単なる想像であり、つまり予断であって、現実かどうか分からないというところがポイントだ。

予断は危険だ。特に一人の場合は、思い込みや先入観、偏見が入り込みやすい。まず、ここは緊急通報指令室だ。電話をかけて来るのは助けを求めている人間だという先入観がある。車中から電話をかけてきた女。一緒にいる男に誘拐されたと言う。男は前の夫のようだ。DVか、嫉妬に駆られた暴走か。もしかしたら男は前科者かもしれない。とにかく、「被害者」と「犯人」の身柄を確保しなければならない。

しかしそれは全て予断だ。警察官なので聞き出すテクニックはさすがに巧い。しかし、それが本当かどうかを調べる、つまりウラを取ることが、彼にはできない。いや、そこまで求められてはいないのだ。一介のオペレーターなのだから。然るべき部署に回す。それが君の任務だ、弁えろと注意を受ける場面もある。だが、彼は一線を越える。オペレーター室から一人別室に移動し、ブラインドを下げ、隠密行動に出る。かつての同僚に個人携帯で連絡し、犯人と思しき男の自宅を捜索させる。違法行為だ。緊迫感はさらにエスカレート。観客は次に彼がどこに電話をかけるのかを固唾をのんで見守る。司令室か、被害者か、犯人か、子どもが待つ被害者宅か、元同僚か。そして、アスガー宛にかかってくる誰かからの緊急電話(心臓に悪い!)。警察の追跡を潜り抜け、誘拐犯の車はまだ捕えられていない。その中で、アスガーが決定的な思い違いをしていることが明らかになる……。

観客は何度も思う。予断は危険だ。声だけではわからない。一方で、声だけで、話すだけで心を通じさせることができるのだということも気づかされる。アスガーの抱える個人的な問題―なぜ、彼は現場から外されたのか―が、被害者たちとの電話のやり取りだけで浮き彫りになっていく。誘拐事件の全容が明らかになっていく過程で、彼の心もまた「ある真実」へと向かっていく。

繰り返すが、この映画は想像力なしには成り立たない。想像力は大きな力にもなるが、それだけに依拠すると危険だ。想像を形作っているのは、先入観や偏見を含んだ私たち一人一人の背景、バックボーンだからだ。しかし私たちは違った視点からものを見たり、他人を慮ったり、自分自身を疑ったりすることで、それらを上書きしていくことができる。本作は、想像力の偉大さと危うさを示している。

それから最後に付け加えたい。このようなワンシチュエーション映画で一番重要なのは、主人公は「アップに耐える造形」でなければならないということだ。なにせ観客は上映時間(88分)のほとんど、彼を見ていなければならないからだ。顔だけではない。整えられた髪、耳、手、背中。いかにも警察官らしい佇まいと、時折見せる苛立ち、荒々しさ。少し若いダニエル・クレイグのような風貌のヤコブ・セーダーグレンの起用がとても成功している。本作はハリウッド・リメイクが決まり、ジェイク・ギレンホールが主人公を演じるとのこと。また一味違った作品に仕上がりそうだ。


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