天然☆生活

平成とはアロマ芳香剤でにおいを消し去る時代なのだった

始めほのぼの中ぱっぱ、泣いて怒って驚いて、蓋を取ったらほっかほっか。これがこの作品のイメージだ。これでは何のことだかわからない…うーん、だが書くことができない。とにかく驚き、呆れて、最後に心が温くまった。

  田舎に住む3人のおっさんたちの、のんびりした姿が天然生活。山に行きたくなったらもう翌日には決行。約束を破る奴がいても怒りもせず、売れても売れなくてもお店の野菜はそのままに。亀のような生活。主人公のタカシ(川瀬陽太)が、都会から移住してきた家族を前に首をすくめる様子は、亀そのもの。毒(農薬、化学調味料)が入っている物しか売っていない都会には住めないと、田舎に越してきた3人家族(津田寛治ほか)。綺麗な空気、新鮮なオーガニック野菜で料理はマクロビ。この家族も天然生活。ふたつ合わせて『天然☆生活』。でも、この両者の天然はまるで意味が違う。「昭和(戦後)vs平成」あるいは「田舎vs都会」そう言ってもいいかもしれない。

 おっさんたちの昭和人間っぷりは、タカシがボンゴドラムで叩く、昭和歌謡で強調されている。それも♪星影のワルツ、♪上を向いて歩こう、♪幸せなら手を叩こう、1960年代日本が高度経済成長に向かう、未来に夢があった時代の曲を選んでいるところがミソだ。ボンゴドラムのリズムに乗って唄われる歌が、かえって哀愁をおびて聴こえてくるのも、おっさんたちの今を象徴しているかのようである。昭和の人間たちは、仲間が野グソをしていても、しようがねぇ奴だなと、ニコニコ笑っている。口は悪いが、心は温かい。『男はつらいよ』の寅さん、『社長シリーズ』の役立たず社員。こういう人たちをも許容できるのが、昭和という時代だった。

 都会からやってきた家族は、平成時代の家族たち。よく言えばスマートである。家の中は、いつも小奇麗にしており、自分たちで選んだ食器や家具で統一され、食べ物や衣服、すべてにこだわりがある。無駄なものは大嫌いなのだ。人にものを勧める時は「つまらないものですがどうぞ」なんて決して言ってはいけない。夫は妻に気を遣い、決して料理が不味いなんて間違っても言ってはいけない。音楽はそれぞれの好みがあるから、ヘッドホンで聴くのがマナーである。所かまわずボンゴドラムを叩くなんていうのは、論外なのだ。

 どちらがいいとか、悪いとかということではない。昭和の時代の適当さも、平成の時代の個人主義も、知らないうちに人を傷つける可能性を秘めていることに、変わりはない。ただ、都会から来た家族が、田舎というものをまるで理解していないことは問題だ。ただ売れ残って古くなっていただけでオーガニックでもなんでもない野菜を、素晴らしいと思ってしまうほどの大きな勘違いが彼らにはある。農薬を使わない野菜を食べたいといいながら、臭い堆肥のにおいには耐えられず、自ら耕そうとはしない身勝手さ。美味しいものは食べたいが、農家の人が農作業の途中で渡してくれた果実を汚いと、顔をしかめてしまうような都会人の身勝手さが彼らにはあるのだ。

 美味しい野菜には虫がつく。自然を志向しているというのに、彼らにとって虫は忌み嫌うべきものである。広い古民家にひとり仮住まいしているタカシの存在もまた、無駄なものであり、彼らにとっては虫ケラのようなものだったのかもしれない。こんなにも魅力的な古民家を利用しないなんて勿体ない。カフェにすれば、どれだけの人を喜ばせることができるだろうか。例え追い出されたところで、仕事もろくにせず、従兄弟の家を間借りしているあなたの、それは“自己責任”の問題である。

 家族を守るためなら、自分たちの生活を作るためなら、他人なんてどうでもいい。それで嫌な思いをする人がいても、それは“自己責任”と問題をすぐにすり替えてしまう。それぞれの価値観が悪いのではなく、他の価値観を認めようとしない不寛容な精神のほうが問題なのである。それは映画の中で都会の家族が、古い藁ぶきの民家を素晴らしいと言いながら、そのにおいを自分たちの好きなアロマ芳香剤で消し去ろうとした行為に、典型として表れている。経済格差が広がり、勝ち組、負け組という言葉が生まれ、世の中は二分される。まるで負け組には価値のないかのようなこの言葉に、傷つく人はどれだけいるだろう。その無力感に陥らないための抵抗なのか、根拠のない自己肯定が生まれ、それが右傾化、ナショナリズムへと繋がっていき、世の中はますます不寛容になっていく。平成とは、そんな時代だったかのかもしれない。

 この作品のおっさんたちは、この枠で言えば、完全に負け組である。夢も仕事も家もない50 歳独身のタカシを筆頭に、金銭的には不自由はないが、離婚して都会から帰ってきてひとり暮らしをするタカシの従兄弟ミツアキ(谷川昭一朗)。スーパーの進出でまるで売れなくなった八百屋を開いてはいるものの収入がなく、スーパーの試食品で腹を満たしている2人の幼馴染のショウ(鶴忠博)。でも彼らはそんなことは気にしていない。その潔さ(もくしはぐうたらさ)が心地よい。これは、昭和という時代から平成という時代を炙り出し、次の時代へと希望を繋ぐ映画である。こんな作品が平成時代の最後になって出てきたことが、とても興味深くまた嬉しい。

©TADASHI NAGAYAMA
☆2019 年 3 月 23 日(土)より新宿 K’s cinema ほか全国順次公開

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