女王陛下のお気に入り

映画と。ライターによるクロスレビューです。

作品紹介

『ロブスター』などのギリシャ出身の鬼才ヨルゴス・ランティモス監督が手掛けた3人の女性の愛憎をめぐる宮廷ドラマ。18世紀初頭、ルイ14世のフランスと戦争状態にあるイングランド。気まぐれで病弱な女王アン(オリヴィア・コールマン)を、幼馴染のレディ・サラ(レイチェル・ワイズ)が操り、絶大な権力を握っていた。そんななか、没落貴族のアビゲイル(エマ・ストーン)が、従姉のサラを頼り宮廷で召使いとして働くことになる。アビゲイルはサラに気に入られ、女官に昇格するが、再び貴族の地位に返り咲こうと野望が芽生え始める……。
第75回ヴェネツィア国際映画祭で審査員グランプリ&女優賞(コールマン)を受賞。第91回アカデミー賞では作品賞・監督賞(ランティモス)・主演女優賞(コールマン)・助演女優賞(ワイズ、ストーン)・脚本賞(デボラ・デイヴィス、トニー・マクナマラ)・編集賞(ヨルゴス・モヴロブサリディス)・衣裳デザイン賞(サンディ・パウエル)・美術賞(フィオナ・クロムビー)・撮影賞(ロビー・ライアン)の9部門10ノミネートの話題作。

クロスレビュー

富田優子/現代にも通じる、政治家のあり方を問う度:★★★★☆

本作の時代背景は、教科書に載っていた記憶がある「アン女王戦争」の真っ最中。実権を握るレディ・サラは戦争推進派で戦費のために増税を主張。ただ増税となれば、当然国民に負担を強いることとなる。本作では国民の姿はほとんど映らないが、彼らは長きにわたる戦争で疲弊しているのではないだろうか。にも関わらず、アン女王とその取り巻きは国民のために政治を行う気概が感じられない。それどころか、女王は国費でサラのために豪華な宮殿を建設。そしてサラとアビゲイルは女王の寵愛をめぐり、三角関係に発展するありさまだ。
その三角関係は、女のイヤ~な部分をよくぞここまで搾り取ってくれたというくらい苦々しく、ランティモス監督らしい辛辣さと風刺が効いている。特に、サラとアビゲイルそれぞれが女王を振り向かせようとすればするほど、女王の孤独が際立つのは何とも皮肉だ。17人の子供に次々と死なれ、自身も病弱であるなど彼女の悲哀も胸に迫るが、君主たるもの、たった一人のお気に入りの野心によって政策転換するなどもってのほか。この視点は、現代のあらゆる国の政治家にも通じるテーマであり、政治家のあり方を問うているようだ。イングランドで最も高貴なお家かつ最高権力者のお話なのに、とにかく下劣極まりない。魚眼レンズを多用したユニークな映像はどこか冷ややかで、宮廷の様子にドン引きした国民の視線を思わせる。彼らの姿は見えずともどこかで目を光らせている、いや光らせるべきなのだ、と言うかのように。

外山香織/歪な人間関係の炙り出し度:★★★★★

正直なところ、宮廷の権謀術数で言えば海外ドラマ「クイーン・メアリー」の方が上だ(正確に言えば、このドラマのカトリーヌ・ド・メディシスの方が)。本作はそこに主眼があるのではなく、現代社会に通ずる人間関係の歪さを直視して描いたと思う。それは何か……? サラとアン女王の関係は、支配者-被支配者の、現代で言う虐待の構図(DVやモラルハラスメント)と全く同じだ。サラは女王に対して「太ったアナグマ」などと貶める一方、あなたの理解者は私だけだと、意のままにコントロールする。女王がアビゲイルになびいたのは、アビゲイルが「あなたはあなたのままでいい」という態度を見せたからだ。しかしまあ、劇中アビゲイルの取った策も容赦ないから同情の余地はない。彼女は順調に女王陛下のお気に入りとして出世していくが、一方でサラが去ってからは女王の様子が明らかにおかしくなる。片目が開きにくかったり、話し方・歩きがギクシャクしているのは麻痺の症状を思わせるし、メンタルもますます不安定。虐待の構図から抜け出せても、決して幸福にはなっていないのだ。17人の子どもを失い、持病に苦しみ、信頼できる友もなく、女王はなんと孤独なのだろうか。そして、側近の女たちはなんと強いのだろうか(本作の男性陣は影が薄い)。18世紀初頭に生きた実在の女王を取りあげながらも、歴史ドラマというよりはパーソナルで歪な人間関係を炙りだした本作。実にこの監督らしい。


(C)2018 Twentieth Century Fox
2019年2月15日(金)全国ロードショー!

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