【TNLF】アイ・ビロング

これは他人事ではなく、私たち自身の物語。

 オーディオ・ブックの制作のため、小説家が自作の短編小説集を朗読しに行くところから映画は始まる。この作品はそのスタイルが示すように、豊かな短編小説を味わっているような感覚がある。小説家が短編小説のような映画を作ってみたいと、試みたのが、本作の製作動機なのではなかろうか。ダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督は、実際に映画監督であると同時に、小説家でもあるのだ。3篇の短編の共通点は、コミュニケーションの行き違いから追い詰められていく人たちが主人公であるというところだ。しかもこの作品が面白いのは、彼らが元来コミュニケーションに問題がある人たちではないというところにある。

 1話の看護師は、常に患者や医師とコミュニケーションを取っている人であり、普段は意思疎通に関して問題がある人ではない。患者との接し方を見ていても、きっちり気持ちまで理解し接していて、むしろ職業的には好ましい人に思えるのである。ただ、患者を抱きかかえる仕草に少しばかり優しすぎて、繊細なところがある人というところが出ているようにも思える。詩が大好きで、言葉に敏感な人でもある。そんな彼女の美点も、周囲の状況が変わることによって、マイナスに転じていってしまうのである。自己主張が強く、彼女の優しさを理解できない、無神経な研修生の言動によって。

 2話の翻訳家は、コミュニケーションという点では、元来きっちりと自分の考えを伝えられる人である。沢山の本を読み知識も豊かで、豊富なボキャブラリーで、文章を書く。言葉にはとても敏感で、小説を表面だけで捉えるのではなく、言葉の奥にあるものをきっちりと掴み、客観的にその素晴らしさを伝えることができる人である。ただ、若いころの不幸な出来事がきっかけで、自分の内側に閉じこもりがちになってしまい、他人と適当に合わせて会話するということができない不器用さがあることも事実である。彼女の美点も、彼女のことを理解している編集者との間では最大限に発揮されていたというのに、編集者の交代をきっかけにガラガラと崩れていってしまうのである。皮肉にも周囲と合わせて会話するのが上手で、言葉の奥深くまで考えない(考えないからズバズバとものを言うこともできる)若い編集者によって。

 この2つの話に共通するのは、自分の居場所にいる間は問題がない人でも、いったんそこをはみ出した途端に、自己が否定されたような感覚に陥り、追い詰められていってしまうことである。看護師は、人を管理し評価するという慣れない仕事を任され、その優しさゆえに、躓いてしまう。言葉を大切にする翻訳家は、自分が否定したい類の翻訳の仕事をしているうちに、自己が押しつぶされていってしまう。観ているこちらも暗い気持ちになってしまうのだが、それはこういう罠自体が誰にでも起こりうることだからなのである。実際誰もが、自分がいるべきではないような場所に出てしまい疎外感を味わったり、苦手な仕事を任されて、一時的に自分がダメな人間になってしまったような感覚を味わったりしているのではなかろうか。

 それらと比較すると、第3話は深刻には違いないが、何も言えない可笑しみがある。経済的に苦しい母娘が、突然親戚から100万クローネの現金を贈るという申し出を受ける。本当に優しい気持ちから援助を申し出た主人公の義理の妹。それが有難いと思いつつも、受け取ればそれが心の負担になると感じてしまう主人公。その申し出自体を屈辱的に感じてしまうその娘。それまで普通に会話していた2家族が、お金の話がからんだ途端にぎこちないものになってしまうのが、可笑しくも切ない。この行為は一種の芸術の実践なのだという主人公の姪。亡くなった兄がいかに金銭感覚に疎く、あなたたちに大変な思いをさせていたかと故人を否定するようなことまで言い出す義理の妹。お金を受け取らずして受け取る方法はないかと考えだす主人公。言っていることが、段々とわけのわからないものになっていく。

 お金とは不思議なものである。11世紀くらいまでの物々交換が取引の主な方法だった時代から、貨幣経済が中心となってこんにちまでおよそ10世紀。1000年近い時が経っているというのに、人はお金に対して未だにどこか後ろめたさを感じている。例えば病気をして色々と世話になったお礼にということで、お金を渡す人はあまりいないであろう。お金では失礼だからということで、それ相当の品物を買ってお礼をするというのが一般的である。受け取る側も、お金で返されれば、自分の行為が気持ちからのものだったのにお金に換算されたみたいな、ドライな気持ちになってしまうことだろう。品物もお金もかかった額には違いないはずなのに。額面が書かれていても、商品券だと別に失礼でもないし、相手側もドライな気持ちにならないというのも、不思議な話である。この第3話はこうしたお金に対する、人々の心の機敏を見事に捉えている。誰にでも思い当たる節があり、それゆえに登場人物たちの会話が可笑しいのだ。

 「I Belong 」。私はここにいる!という強い叫びのようなニュアンスが、この言葉の中にはある。追い込まれた人が発するギリギリの自己主張。まさに3つの短編の主人公たちは、自己の存在が否定されたかのような状況に追い詰められていく。しかも、彼らは「I Belong 」と叫ぶことさえできないでいる。しかし、彼らは決して特別な人たちではない。なぜなら、冒頭、集合住宅で小説家と小説の登場人物たちが交差しているからだ。もしかしたら、何でもない集合住宅の、名もない隣人たちが、この小説のヒントということなのかもしれない。これは他人ごとではなく、私たち自身の物語になっている所以である。

【開催概要】 トーキョーノーザンライツフェスティバル 2019

会場:ユーロスペース 会期:2019 年 2 月 9 日(土)~15(金)
主催:トーキョーノーザンライツフェスティバル実行委員会
公式サイト:http://tnlf.jp/ (スケージュール詳細はこちらから)
Face book:https://www.facebook.com/tnlfes
Twitter:https://twitter.com/tnlfes
【チケット情報】
ユーロスペース公式ウェブサイト、劇場窓口にて上映 3 日前より販売! 一般 1,500 円 学生・シニア・ユーロスペース会員 1,200 円
*ユーロスペースの火曜日サービスデー 1,200 円が適用されます。

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