(ライターブログ)ゲティ家の身代金
今回は実際に1973年に起こった事件をベースに作られた『ゲティ家の身代金』をピックアップ。石油王ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の孫、ポール(チャーリー・プラマー)がローマで誘拐される。身代金に1700万ドルを要求された母親ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)だが、ゲティの息子である夫とはすでに離婚、そんな大金は用意できるはずもない。最後の頼みの綱はゲティ。しかしながら稀代の大富豪は孫の身代金の支払いを拒否するのだった――。
ゲティは「人間は信用できない。まるで寄生虫だ。だから私は物が好きなんだ。目の前にある姿のままで決して変わらない。失望させない。」と語り、美術品を熱心に収集します。ゆえに、イギリスにあるゲティの屋敷や庭は「美術館か!」と思うほどの作品群で埋められているのですが、ここでは、映画の中で面白い使われ方をしている作品を3点ほどご紹介しましょう。
まずは、ゲイルと元CIAのチェイス(マーク・ウォールバーグ)がゲティ邸で初めて出会うシーンに登場するある絵画。「フェルメールの絵は小さい」とゲイルが語る、小さな板に描かれたこの絵は『フルートを持つ女』(1665~1670)という名で知られています。三角形の帽子をかぶり、耳には真珠のイヤリング、そして左手にはフルートを持ってこちらを見つめる女。しかし、現在ではこの絵はヨハネス・フェルメール(1632~1675)作の可能性は低いと言われています。実際、フェルメールがキャンバスではなく板に描いているのは、この作品を除けば現存するのは『赤い帽子の女』(1665~1666)のみ(2018年に上野の森美術館で開催された「フェルメール展」で初来日)。が、実はこちらもフェルメールの真筆かどうか評価が分かれている作品のようです。現在、『フルートを持つ女』はワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵していますが、ゲティが持っていた時期があるのかは分かりません。が、興味深いのはこういった絵をゲティの所有として本作に登場させた点。ホンモノであると信じた作品が実はニセモノかもしれないことを、仄めかしているとも言えます。
さらに一歩踏み込んで、ホンモノとニセモノと言う対立軸が強烈な形で表されるのが、やはり『ミノタウロス』でしょう。自分は市場で安く手に入れたが、本当は高額なんだと言って孫のポールに分け与えた小さな像。ゲイルはこのことを思い出し、少しでも身代金の足しにとこのミノタウロスを鑑定に持ち込みますが、これがなんとローマの美術館で売られている土産物であることが判明。怒りと恥ずかしさと絶望で逃げるように帰ってくるゲイル。何ともやり切れないシーンです。ミノタウロスとは、古代ギリシアのクレタ島で生まれた牛頭人身の怪物。クレタ島の王は神との約束を破ったため、自分の王妃が牛に恋い焦がれると言う罰を受けます。その結果として生まれたのがミノタウロス。なのでまあ、ミノタウロス自身に罪はないのですが、人肉を食らうためにクノッソス宮殿に押し込められ、やがて英雄テセウスに討伐される運命を辿ります。ミノタウロスは怪物として古代から様々な美術作品に登場しますが、なかでも20世紀の巨匠パブロ・ピカソは自分に重ね合わせた作品を残しています。人間でありながら獣である怪物は、獣=欲望をコントロールできない自分を意味するというわけです。ミノタウロスが象徴する獣性とは主に性的なものではありますが、有り余る金を自分の欲望のために継ぎこんでいるゲティも、ある種のミノタウロスなのではないか? と見ることもできます。
しかし一方で、こうも思うのです。ホテルでのクリーニング代をケチるために自分で下着を洗ったり、自宅を訪れる客用に電話ボックスを設置して小銭を巻き上げるゲティですよ? 土産品のようなミノタウロス像を、果たして自分でお金を出して買うだろうか? もしかして、騙されて買ってしまったのではないだろうか。それに後で気づいたゲティは、もう二度とこのような過ちは繰り返すまいと言う教訓として、敢えてそばに置いていたのではないか? 結果として、それを「高価だ」と偽って孫に与えたのは悪い冗談でしかないですが……。
さて、最後に登場するのはドイツ・ルネサンス期の芸術家アルブレヒト・デューラー(1471~1528)の『梨の聖母』(1512)として知られる聖母子画です。劇中、ゲティが大枚はたいて手に入れるこの作品もまた、先の『フルートを持つ女』のようにゲティが本当に所有していたのかどうかは分かりません。現在はウィーン美術史美術館の所蔵となっており、こちらはデューラーの真筆で間違いないようです。映画のクライマックスでは、母ゲイルが解放されたポールを抱くシーンと、ゲティがこの聖母子画を抱くシーンが同タイミングで映し出され、それぞれの「愛」を対照的に示します。聖母マリアが幼子イエスを思う気持ちが分かるならば、ゲイルがポールを思う気持ちも理解できるはずです。しかし、ゲティは心の奥では家族愛を希求しながらも、残念ながら恵まれなかった。もしくは気づくことができなかった。有り余るほどの金があっても(All the Money in the World)、真に欲しているものは手にできず、絵画を通してのみ触れることができた、と言うことなのかもしれません。
冒頭で紹介したゲティのセリフを思い出してください。物は決して変わらない。確かにそうです。でも、芸術作品の評価は不変ではない。愛が不変ではないのと同じように。皮肉なことですが、これもまた事実です。本作は芸術作品の真贋という問題をうまく使うことで、絶対的な価値などないということを示しているように思います。しかし一方で、その人にとってその「物」が真に心に訴える、素晴らしいものであるならば、誰のどんな作品であっても例えニセモノであっても、それはその人にとって価値のある「物」なのではないかと思います。
なにはともあれ、ゲティの所有していた芸術作品の多くが、現在はジョン・ポール・ゲティ美術館に展示され、私たち一般の眼にも触れることができるようになっているのはきわめて幸運なことです。
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2018年5月25日 TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
▼絵画▼
ヨハネス・フェルメール(?) 「フルートを持つ女」(1665~1670)
ナショナル・ギャラリー/ワシントン、アメリカ
Girl with a Flute Johannes Vermeer
ヨハネス・フェルメール「赤い帽子の女」(1665~1666)
ナショナル・ギャラリー/ワシントン、アメリカ
Girl with the Red Hat Johannes Vermeer
アルブレヒト・デューラー「梨の聖母」(1512)
ウィーン美術史美術館/ウィーン、オーストリア
Virgin and Child with a Pear Albrecht Durer
▼参考文献▼
「ギリシャ美術史入門」中村るい著 加藤公太作画 三元社
2022年4月30日
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