ヴィクトリア女王 最期の秘密

女王陛下と箱庭の大英帝国

 ヴィクトリア女王即位50周年式典、記念金貨の贈呈役に2人のインド人が選ばれた。「七つの海を支配する大英帝国」のまさに絶頂期である。夫アルバート公の死以来、喪服で通してきた女王(ジュディ・デンチ)の衣装も、鮮やかな刺繍が施され、きめ細かなレースと2つの勲章、大きなダイヤのネックレスが輝いていた。しかし、女王は孤独だった。隣にいたはずの夫は亡くなり、皇太子のバーティー(エディ・イザード)とは、犬猿の仲である。大臣とも対立することが多くなってきていた。

 昼食会で、退屈さを押し隠さず給仕されたものを機械的に食べ続ける女王に、孤独の影が滲む。生後8カ月で父親を失い、若くして夫アルバート公を失った彼女は、それ以来どこかで心から打ち解けられる人を求めていたのかもしれない。特に馬の世話係ジョン・ブラウンとの親密な関係は、あまりにも有名である。その彼が亡くなってからしばらくの時が経ち、そこに現れたのが、インド人のアブドゥル・カリム(アリ・ハザム)だったのだ。地位にもこだわらず、王室の利害関係とも無縁、率直で従順な彼は、女王にとって心安らぐ存在となったに違いない。夫との思い出の地、オズボーン・ハウスにまで彼を連れて行ったところに、もう彼が家族(息子)のような存在になっていたことが伺われる。

 記念金貨の贈呈式に臨み、アブドゥルは支給された服がおかしいと、担当者に訴えるが「これは絵画に忠実に作らせたものなのです。とてもインド人らしい装いだと思います」と一蹴されてしまう。明治キンケイ・インド・カレーのパッケージ、ターバンを巻いたインド人が、カレーの入ったおたまを持って微笑んでいるアレである。アブドゥルはムスリムであり、インドから呼び寄せられたもう一人の従者はヒンドゥー教徒。その二人に同じ格好をさせたのだから、戸惑うのも無理はない。英国はシク教徒と戦争をし、また別の時には味方の兵士として共に戦ったという歴史があるため、インド人といえば、彼らのイメージしか思いつかなかったのだろう。そこに当時の欧米人の、アジアに対する無知と偏見がよく表れている。

 それでも女王は、アブドゥルにムンシ=秘書/教師の称号を与え、偏見に捕らわれずインドのことを学ぼうとしていた。東方世界にインドを中心とした一大帝国を築くこと、それがヴィクトリア女王の若いころからの夢だったのである。しかしインド女帝となったものの、デリーで執り行われた大謁見式に女王自身が出席することは叶わず、それ故にアブドゥルからインドの話を聴くことで、彼女はインド女帝であることを実感し、自身の満たされぬ思いを充足させたに違いない。女王がオズボーン・ハウスに作らせたインド様式の部屋ダーバーの間は、ミニ・ムガール帝国といった趣である。

 しかし、ただの従者に称号を与え常に身近に置くという、ヴィクトリア女王によるアブドゥルに対する異例の扱いは、王室の周辺の人々を混乱に陥れる。下層階級の者が、女王に優遇されるのは許せないと。階級の頂点である女王にとっては、どちらも臣下ということに違いはなく、なぜそんなことで彼らが嫉妬するのか、理解できなかったのだろう。(そういう彼女自身も他国の王室との上下関係には強いこだわりをもっていたのだが)その混乱ぶりは、単に滑稽というだけでなく、階級で成り立っていた大英帝国の社会の仕組みを、鏡のように写し出している。

 一方、自分がないがしろにされていると感じたバーティーは、もうひとりのインド人従者に対して、アブドゥルを売れば、ヒンドゥー教徒がイスラム教徒の下に甘んじて仕事をしている今の状況を変えてあげようと、裏切り行為をけしかける。しかし、彼らを仲たがいさせる作戦は見事に失敗し、逆に英国に対する罵倒の言葉を浴びせられるのである。そのことは、ヒンドゥー教徒とムスリムを争わせ、英国に反乱の矛を向けさせないように仕組んだ、植民地政策を思い起こさせるだけでなく、その失敗も歴史的事実と重なってきてしまうのが興味深い。

 確かにこの作品では、階級、信仰、国、民族を越えた女王とアブドゥル2人の友情の物語がメインになっている。お互いに相手を尊重し、率直に、偏見無く対峙すれば、それらの違いを越えて友情を築くことができる。それはとても微笑ましく、感動的でさえある。世界はかくあるべし、ひとつの理想がそこに提示されていると言ってもいいだろう。

 しかし、スティーヴン・フリアーズ監督は、そんな希望を語りながらも決して楽観的には物事を見ていない。これまで述べてきたように、その過程で起きる混乱こそが、この作品の重要な要素となっているからだ。女王とアブドゥルの友情も、あくまでもダーバーの間に象徴されるように、帝国と植民地という関係があればこそ、成立するものなのである。女王の暮らす世界は、例えていえば、箱庭の大英帝国というようなものだ。その小さな大英帝国から大きな大英帝国そのものが見えてくるのである。それは今日に繋がるこの国の原点とも言えるものであり、現実の困難さを何よりも示しているのである。

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第90回アカデミー賞衣装デザイン賞 メイクアップ&ヘアスタイリング賞ノミネート
第75回ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門) ノミネート
※ 2019年1月25日(金)よりBunkamuraル・シネマほか全国ロードショー!

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