【FILMeX】華氏451(2018)(特集上映)

映画と。ライターによるクロスレビューです。

【作品紹介】


書物を読むことが禁じられた世界で、書物を燃やす職業“ファイアーマン”として働く男の姿を描くレイ・ブラッドベリのSF小説「華氏451度」の再映像化。アミール・ナデリが脚本を担当。カンヌ映画祭でワールドプレミア上映を飾った。(東京フィルメックス公式サイトより)
提供:スターチャンネル

【クロスレビュー】

藤澤貞彦/今、そこにある危機度:★★★☆☆

本を読むから人々は目覚め、意見が対立し争いに発展する。だから本を抹殺し、色々な考え方を封じる。ものを考えなくなれば対立もなくなり、人々は幸福になる。まさに全体主義的な思想なのだが、原作者レイ・ブラットベリは元々、テレビ文化により人々がものを考えなくなることを念頭に、この小説を書いたという。この作品では、ネット社会というものを念頭に世界観を再構築したところが、時代に即している。そもそも人は置かれた立場や知りえた情報によって、異なる考え方を抱くものであり、それに彩りを与えるものが、本なのだ。時には、主人公モンターグのように、意見を変えるきっかけになることもあるだろう。逆に情報が少なければ偏った考え方に陥り、かえって意見対立は激しくなるはずだ。今のネット社会にもそうした傾向はある。政府にコントロールされなくても、見出しだけで物事を判断し、自らコントロールされている人たちも存在する。その危機感が、この作品に反映されている。すべての人がそうなれば、というのが、この作品の統治側の発想だが、案外人間は遺伝子レベルで、そうはなれない生き物なのかもしれない。ラストにはそんな希望がある。

外山香織/とりあえず何か紙の本を読みたくなる度:★★★★★

オープニングクレジットで、様々な本や絵画が焼かれていく。あまりにもスピードが早いので目で追い切れなかったが、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が焼かれており「!!」とのけぞった。ナチスが権力を握っていた時代には退廃芸術として思想にそぐわない作品群が処分されたことは知られている。「焚書」に関しても、歴史上何度も行われてきた。しかし、インターネットが一般的となった現代において、それはどのような意味を成すのか? 本作はそのような観点から作られたようだ。ファイアーマンの活動により「本」は既になくなり、本のデータが違法にアップロードされては消されてゆく時代。人々は政府によって監視・管理され、社会的にデータ抹消されれば例え肉体は生きていても社会的には死んでいるということになる。人間の記憶の改ざんも可能だ。そうした世の中において、確かなものは何なのか。主人公の上司である男が、もはや紙と鉛筆も貴重になってしまったであろう状況において、何かを忘れまいと必死に書き綴ろうとしていたことが印象に残る。本当に恐ろしいのは、管理束縛されていることに気付かないことそのものではないだろうか。


▼第19回東京フィルメックス▼

【期間】2017年11月17日(土)〜11月25日(日)
【メイン会場】有楽町朝日ホール(有楽町マリオン)11/18(日)〜11/25(日)
【オープニング/レイトショー会場】TOHOシネマズ 日比谷11/17(土)〜11/25(日)
【特別上映会場】有楽町スバル座 (11/17(土),11/18(日)のみ)
【併催事業:人材育成ワークショップ】
11/19(月)〜11/24(土) 有楽町朝日スクエアB
主催:特定非営利活動法人東京フィルメックス実行委員会
共催:朝日新聞社
公式サイト: https://filmex.jp/2018/

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