追想
英国の人気作家イアン・マキューアンの「初夜」を、マキューアンが脚本も担当し、映画化した本作。主人公のバイオリニスト・フローレンスに扮したのは、若手トップ女優シアーシャ・ローナンだ。「初夜」が発表されたのは2007年。その頃から映画化の話は出ており、マキューアンも2010年から脚本に着手していたが、なかなか実現しなかった。だがここにきて彼が熱望したシアーシャをヒロインに迎えることができ、急がば回れ的な幸運に恵まれたと言えるだろう。フローレンスの硬質な美しさ、心に秘めた悩み、限りない愛と驚くほどの冷酷さなど、複雑な感情を見事に演じたシアーシャ。今、この映画を撮るとしたら彼女以外のキャスティングはあり得ないと思うほど、適役だった。
1962年、ロンドン。フローレンスは歴史学者志望の若者エドワード(ビリー・ハウル)と出会い、一目で恋に落ちる。裕福な家庭のフローレンスと家族に問題を抱えるエドワード。階級の違いはあっても愛し合う二人は結婚式を恙なく終え、新婚旅行に美しい海岸チェジル・ビーチにやってくる。そして二人は初夜を迎えるが、そこである出来事が起こってしまい・・・。
「愛があればどんな困難も乗り越えられる」とはよく耳にするフレーズだが、果たしてそうなのか。フローレンスはエドワードを愛しているが、彼の仕事など自分の意のままにしようとするところが見え隠れする。エドワードもどこか引っかかるものを感じながらも、ズルズルときてしまう。そしてフローレンスのセックスへの恐怖心。こればかりは“練習”するわけにもいかないし、彼女の厳格な家庭では、母親(エミリー・ワトソン)に相談するような雰囲気ではない。彼女の不安が解消されぬまま、その時を迎えたことですべてが狂ってしまった。
結局、行き違いばかりの初夜は、二人がこれまで何となく感じていた微妙なズレが正しかったことを意味している。それは、音楽の好みの違い、家庭環境の違い、仕事観の違いでもある。わずか数時間で、愛し合っていた二人が感情に任せて互いを追いつめる様は、見苦しい。愛とは何と脆いものなのか・・・。だが、本作を見終わったあとにこの海岸のシーンを思い返すと、二人とも取返しのつかない過ちと、それが及ぼす人生への影響について思いを巡らす余裕がなかったと思うと、あまりに痛切で胸がしめつけられる。
そういう思いにさせたのは、原作にはない、マキューアンが映画のために加筆した部分によるところが大きい。「もし、あのとき、こうしていれば・・・」の答えが明確に示されていたこと。人生に“たられば”を持ち出せばキリがないし、考えることに生産性を感じないのだが、それでも「もし、エドワードがあの海岸でフローレンスを追っていたら・・・」「もし、フローレンスが悩みを結婚前に打ち明けていれば・・・」「もし、二人がもう少し思慮と優しさを持ち合わせていれば・・・」と困難を乗り越えるための様々な“If”を考えたくなるほど残酷な結末だ。若さゆえの未熟さと無駄な自尊心に後悔の念を募らせての涙。時が経てば傷が癒えるどころか二人に重くのしかかっていたことの涙。そして二人にしかその真意が分からない涙。この加筆部分で残酷さが原作よりも強調され、失ったものの大きさを改めて思い知らしめる。砕かれた夢の無情さに、誰もが直面したことがあるだろう。苦い思い出を反芻し、還らざる日々に向かって叫びたくなるような作品だ。
(C)British Broadcasting Corporation / Number 9 Films (Chesil) Limited 2017
8月10日(金)よりTOHOシネマズシャンテ他全国ロードショー