喜劇映画のビタミンPART8突貫レディ『荒武者キートン』
新野敏也さんによる解説
初めて長編映画に挑戦
この作品、キートンが実質初めて作った長編ですが、物語が練られていて、とても良くできていると思います。アメリカ映画は、これまで10分から20分くらいの短編のドタバタ喜劇が主流でした。それはストーリーを無視してでも、荒唐無稽でも、一発芸的なもので笑わせようといった内容のものでした。それが労働者階級、一般大衆、英語がよくわからない人たちにすごく支持されていたのです。『荒武者キートン』は1923年の作品ですが、20年代に入る辺りから、映画が段々産業として確立されていきます。それにつれて、観客の対象を中流以上、お金持ちの人にも広げていきたいということで、映画は段々と文芸志向になっていきます。
事の発端は、イタリアで最初に長編の歴史大作とかが作られたことですので、その感覚がアメリカに、そのまま輸入されたというほうが、より正確かもしれません。第一次世界大戦までは、イタリア、フランスも映画の輸出量は多かったのですが、大戦の疲弊もあって、以降ハリウッド映画が全世界の80%から90%のシェアを占めていきます。第一次世界大戦前のヨーロッパの演出のセンスや、細かい流行を取り入れながら、アメリカ映画は、長編、文芸志向化していったのです。
先ほどこの作品を実質1作目と言ったのは、この前にも長編があるからです。『恋愛三代記』という作品ですが、キートンは、原始時代とローマ時代、現代(1920年代)、3つの時代の短編を組み合わせて、これを1本の長編にしております。求愛の物語ですが、同じシチュエーションで、年代を並行して見せるという演出で、1つの作品に仕上げました。初めて長編を作るということが、非常に不安だったのですね。この作品で、一応長い映画を見せられるようになったという感覚を掴み、次は本格的に1本通してストーリーを作ろうということで、生まれたのがこの『荒武者キートン』です。
タイトルは『激流危機一髪』だった?
『荒武者キートン』は1923年の初公開から1970年代の後半まで1回も公開されていません。なぜかと言いますと、フィルムが行方不明になっていたからです。復刻されて1978年ようやく、フランス映画社配給でリバイバル公開されました。最初は『激流危機一髪』というタイトルで、ポスターまで作り、すでにプレスシートも配られていました。オチの部分だけを見せて本当のドラマ部分をまったく無視したひどいタイトルでして、企画会議で、大島渚監督と児玉数夫さんという今年99歳の映画評論家が猛反対しました。昔のタイトル自体が文化遺産なのだから変えるのは絶対におかしいと。それで元の『荒武者キートン』というタイトルになったという経緯があります。もっとも荒武者という単語自体が今ではちょっと一般的ではないのですが、この当時は時代劇だからということで『荒武者キートン』となったのかもしれませんね。
(山崎バニラさん:オリジナルタイトルって素敵ですよね。『Our Hospitality』私たちの歓待、おもてなしみたいな意味ですよね)
元々のタイトルは松竹で配給しているので、おそらくその社員が付けたタイトルです。同じ頃に日活が配給していたロイドの作品は、原題に対して日本語訳が絶妙にいいのですが(『SAFETY LAST』⇒『ロイドの要心無用』)、言い方は悪いですがキートンのタイトルはちょっとバタ臭いものが多いです。例えば次の作品『探偵学入門』は、リバイバル時にフランス映画社で付けたタイトルですが、公開当時は『忍術キートン』でした。原題は『Sherlock,Jr.』で、試写の時には『探偵二世』というほぼ直訳のタイトルが付けられていました。けれどもその当時、シャーロック・ホームズの原作が日本では一般には知られておらず、探偵という職業自体も一般的ではなかったのですね。これではわからないということで、松竹で一般公募した結果、二重写しなどの特撮が多く、スクリーンの中に主人公が入っていくのが、忍術のようだということで、『忍術キートン』になってしまったのです。沖縄県で公開された時には、なぜかそれが『忍者キートン』に変わってしまったという記録があります。
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