菊とギロチン

隣の奴は敵じゃないぞ、共闘しろ!

朝鮮人の女相撲十勝川と在郷軍人会の分会長師岡大五郎の関係性も当時の日本を象徴していて、とても興味深い。十勝川は関東大震災で壊滅状態になった東京から逃げてきた人であり、師岡大五郎はシベリアから帰ってきた人である。それが田舎の地で不幸な出会い方をする。

大正11年、経済界の要請によって朝鮮人の内地渡航禁止令が撤廃され、大量の労働者が日本になだれ込む。彼らが低賃金の仕事を請け負い、日本の労働者との摩擦が起き、それが関東大震災時のデマ、朝鮮人の虐殺へと繋がっていくのだが、十勝川はまさにこの流れに沿って生きてきた人なのである。仕事を求めて日本に渡ったものの、東京で震災にあい、同胞が無残な姿で殺されていくのを間近で見、命からがらたどり着いたところが、女相撲だったのだ。

 一方、在郷軍人会の分会長師岡大五郎は、シベリア出兵をしたと告白している。シベリア出兵は、こんにちでは、日米関係の悪化を招き,日ソ国交回復の妨げとなっただけという評価になっている。3500名の死傷者を出し,10億円に上る戦費を費やし、何も得られなかった無意味な政策だったのである。意味のない行軍をさせられ、帰ってみれば仕事がない。彼は在郷軍人会にすべてを捧げる。そこにいれば、手当はもらえるし、それなりの尊敬を受けられるからだ。在郷軍人会には、国民に対する教化や統制、公安維持などの使命が与えられていたのである。朝鮮人は秩序を乱す。その思い込みから、関東大震災では、自警団の中心となり、朝鮮人の虐殺にも関与したといわれている。師岡が朝鮮人の十勝川を目の敵にするのには、こうした背景があったのだ。

この作品は関東大震災で始まったが、なるほどギロチン社と女相撲、在郷軍人会は震災で繋がっているのである。大杉栄を拉致した甘粕大尉への報復を実行しようとしたギロチン社、震災から逃れてきた十勝川、師岡が属していた在郷軍人会、それらが田舎町で出会うことによって、まるで都市の出来事の余波でもあるかのように、ぶつかり合うのである。いわば『菊とギロチン』は、日本の裏庭の歴史を描いた映画ともいえるのである。そういう意味では、直接的には描かれてはいないものの、関東大震災はこの作品の根幹をなす部分になっている。

関東大震災を作品の後景に置き、日本が変わっていく、その始まりの物語を描くことには、この時代と現代を繋ぐ意味もあるように思える。東日本大震災後に起こった日本の右傾化、愛国心の強調した教育基本法、改憲への動き、ネトウヨの朝鮮人に対するヘイト・スピーチ、そのどれもが映画で描かれた時代と似ているからだ。特に共謀罪という名前で登場し、いったんは流れたものの名前を変えて復活し、法案が成立したテロ等準備罪は、過激社会運動取締法が廃案になった後、震災を経て治安維持法として復活し成立した過程ともよく似ている。それらを重ね合わせることにより、今の世の中がどういう位置にあるかが見えてくる。

 中濱鐵がこのようなセリフを言う。「小作人社というところで、百姓と結託しようとしたけれど、誰も来なかった…だけど今でも思っている。隣の奴は敵じゃないぞ、共闘しろ」この映画の登場人物たちは、一様に貧しいという共通点がある。それにも関わらず、彼らは分断されている。「それでは、為政者の思うツボになるのではないか」時代を超えて中濱鐵が、こちらにそう語りかけてきているような心持がした。

© 2018 「菊とギロチン」合同製作舎
7月7日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国順次公開

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