祝福~オラとニコデムの家~
「現実がフィクションになる」この言葉にドキリとさせられる。他でもない13歳で自閉症の弟ニコデムが何気なく口にした言葉だったからだ。普段は、動物たちの王者ライオンにでもなったかのような気分で奇声を発しているニコデム。現実の中において、フィクションの世界を作り殻に閉じこもっている彼が、これから起こる一家の現実を前にして、そのほうがむしろフィクションだと、感じてしまったのである。自分の心の中の世界と現実が地続きになっている彼だからこそ、現実に起こっていることであってもそのように感じたのかもしれない。彼の世界観が描かれているからということもあるかもしれないが、この作品では現実がフィクション性を帯びて感じられる瞬間が確かに存在している。
14歳の姉オラの生活は、過酷なものだ。お酒で問題を抱える父親と、自閉症の弟ニコデムを抱えて、文字通り一家を支えている。母親は家を出て違う男性と暮らし、赤ん坊の世話と仕事に追われ、余裕がまるでないことが電話の声を通して伝わってくる。オラは学校に通いながら家事の一切をこなし、弟の面倒を見ている。14歳にしてその顔は、一家の主婦のように見える時さえある。
オラはひとつの夢を、そんな日常を過ごすうえでの心の支えとしている。「弟の初聖体式には、母親が来てくれる。それが成功すれば、昔のように家族がひとつになれる」初聖体式の参加資格のテストに備えた勉強に、なかなか集中できない弟を叱咤激励する、そのパワー。父親と意見が合わずに言い争いをするパワー。母親を初聖体に何とか来させようと電話で話を続ける、その粘り強さ。その源は、この夢の中に存在するのである。
彼女は自分の中で夢に向けたシナリオを描き、それによって、過酷な現実を生き抜いている。人は過酷な状況に置かれた時、フィクションの世界に逃れられるからこそ、どうにかその場をやり過ごすことができるのだ。そういう意味では、現実とフィクションの境界は、心の世界に委ねられる部分があるのだろう。自閉症の弟ニコデムと夢に生きる姉オラの精神世界は、案外地続きなのである。一家の中でただ1人父親のみが、そうした世界を作れないでいるのは、人生が長い分、失望が深いからであろう。それ故に彼はお酒の力を借りて、その場限りの精神の高揚に身を任せることでしか、現実を逃れられないのである。