一陽来復 Life Goes On
被災者の方たちの笑顔がとても印象に残る作品である。誰もが実にいい顔をしている。東日本大震災から7年、ここまでの道のりにおいて、彼らにいったいどれほどの葛藤があったのか。タイトルとなった一陽来復(いちようらいふく)とは、冬が去り春が来ること。すなわち悪いことが続いたあと、ようやく物事が良い方向に向かうことをいう。今はその途上。宮城県石巻市、岩手県釜石市、福島県川内村、同浪江町に暮らす20名を超える人たちへの取材は、10か月間、延べ60日以上に及んだという。これはある意味、あれから7年経ったことによって、初めて作ることが可能になった作品とも言えるだろう。
作り手の立ち位置がとてもいい。単にインタビューをするということにとどまらず、地元の人たちとゆっくりと信頼関係を築いていったことが、画面から窺い知れる。例えば、子供3人を津波で亡くし、夫婦2人だけで生きている遠藤夫妻。最初は、木工職人である自分の仕事のことや、東京から故郷の石巻に戻ってきた経緯をポツポツと語り始めるところから始まったご主人が、後半には、自分の偽らざる胸の内を話すまでに至る。それも無理にしゃべらせるのではなくて、彼自身が自然に話し始めたという感じがするのである。
それは、結婚式の5日後に震災にあい夫を亡くし、その後に生まれた子供と2人で暮らす奥田さんにしてもそう。カメラの前で子供が伸び伸びとした姿を見せているのを見れば、どのような雰囲気の中で、彼女が自分の体験を語り始めたかが想像できる。福島県川内村で震災と、それによって引き起こされた原発の事故にあい、それでも農業を諦めず、努力を続ける秋元さんからは、農作業をちょっとやってみないかなどと、カメラに向かって声をかけられたりしていて、微笑ましくなってくる。
「皆いろいろなものを背負って生きているけれど、それは顔に書いているわけではない」というのは、先にあげた遠藤伸一さんの言葉だが、素敵な笑顔の後ろに、それぞれの人たちがどんなものを抱えてきたかが、徐々にわかってくる。背負っているものは、画面のあちらこちらに、形としても表れている。遠藤夫妻は、いまだに子供たちの遺影を表に出せないままでいる。仏壇の扉を締め、時々開いては子供たちに声をかけるのが精いっぱいといった感じだ。家族全員を亡くし1人仮設住宅に暮らす鈴木さんは、家を再建し、仏間に仏壇を納めるまで頑張らなくてはとアルバイトに励んでいるが、玄関には、亡くなった孫娘が使っていたランドセルが掛けられている。
石巻市の幼稚園、小中学校で英語を教えていた米、ヴァージニア州出身のテイラー・アンダーソンさんは、児童を避難させたのち、自宅に戻る途中で津波の犠牲になった。そのご両親は、NPOテイラー・アンダーソン記念基金を立ち上げ毎年来日し、小学校に「テイラー文庫」として本を寄贈するなどの活動をしている。これも背負っているものの1つの形。その本棚を作っているのは、木工職人の遠藤伸一さんだ。例え亡くなっても、遺族によってその遺志は引き継がれ、またそのことによって、新たな人と人との関係が生まれている。震災で子供を亡くした者同士、その絆には特別のものがある。それが彼らの生きる力になっている。
「なかったことにしたくない。残った人間が亡くなった人たちの想いを大切に守っていく。残った人間がこの想いをなかったことにしたら、消えてしまいます」とは、宮城県三陸町の旅館のスタッフで、ここを訪れた人たちに震災の体験を伝える活動をしている伊藤俊さんの言葉だが、これこそが、被災した人たち共通の思いではなかろうか。遠藤夫妻も、テイラー・アンダーソンさんのご両親も、その想いに支えられて、前に進んでいこうとしているように見える。そしてその向こう側には人がいる。共通の体験を持つ人たち同士助け合って生きていこう、人のために何かをしよう、そこに新たな繋がりが生まれていき、それが生きる力へと変わっていくのである。この作品に登場する方たちには、皆そんなところがある。
本稿の冒頭、笑顔が印象に残る作品ということを書いたが、実は生きる力、前に進んでいこうとするパワーこそが、その笑顔の源になっているのではなかろうか。ゆえにその顔はとても素敵であり、その顔にむしろ、スクリーンを見つめる観客のほうが励まされるような心地がするのである。これは、間違いなく震災のその後を切り取ったドキュメンタリーではあるが、それだけにとどまらず、人の生き方を描いた普遍性のある作品になっている。
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※2018年3月3日(土) ヒューマントラストシネマ有楽町他全国順次公開