スリー・ビルボード
【作品紹介】
第74回ヴェネツィア国際映画祭で脚本賞、トロント国際映画祭で観客賞(最高賞)を受賞するなど高い評価を獲得したドラマ。第90回アカデミー賞では6部門(作品、主演女優、助演男優、脚本、編集、作曲)で7ノミネートを得た。米ミズーリ州の片田舎の町で、娘を殺されたシングルマザーのミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、町外れに警察署長(ウディ・ハレルソン)の責任を問う3つの巨大な広告看板を設置する。それに不快感をあらわにする警察や住民とミルドレッドの間に亀裂が生じ、事態は思いがけない方向へと転がっていく。【クロスレビュー】
富田優子/感情のうねりにひたすら翻弄される度:★★★★★
何とまあ、よく練り込まれた脚本なのか。登場人物が見せる残酷さと優しさ、悪と正義、憎悪と慈愛という対極の感情のうねりに翻弄されたあげく、あぁこれで着地点が見えるのだな・・・と安心したのも束の間、梯子を外されたかのような予測不能な展開に脱帽するしかない。さらに映画の結末の“その先”も見せてほしいところだったが、あえて観客に丸投げしたところも心憎い。先日発表されたアカデミー賞ノミネーションでは、監督賞では予想外の選外となったマクドナー監督だが、脚本賞受賞は(ごめんなさいの意味も込めて)固いのではなかろうか。
そんな感情のうねりのなかで浮かび上がってきたものは、「赦し」だ。誰にでも長所と短所はある。後戻りできない過去がある。消せない後悔もある。墓場まで持っていきたい秘密だってある。本作は、そうした業を抱えつつも生き続けるのが人間であることを容赦なく描き、そして赦すことができるのも人間だということを優しく問うている。赦しを与えることは、罰するよりも難しい。それでも様々な迷いを乗り越えて、見えてくるものの気高さに心打たれる。人間、まだ捨てたもんじゃないと思わせてくれる作品だ。
藤澤貞彦/21世紀の『イントレランス』度:★★★★★
娘のレイプ殺人事件を解決できない警察に業を煮やした母親が掲げた、たった3つの看板が小さな田舎町を動揺させ、住民を二分させる。被害者の家族であるはずの母親が加害者のようになり、また関係ない他人が彼女に対して加害者になる。憎しみは新たな憎しみしか生み出さない。自分の苦しみを憎しみに転嫁することで生き永らえている母親をはじめ、複雑な内面を抱える人間たちが、それを克服していく過程は、スリリングであり、そこに大きな希望を感じさせてくれる。
タイトルの後半「エビング ミズーリ」のエビングは架空の街の名前だが、わざわざミズーリという具体的な州名を出したことには意味がある。ミズーリは南北戦争の時代、南軍北軍に別れて、親族や近所同士が闘い血を流したところ、町中のあちこちで敵意が渦巻いていた土地である。そのため、人々は疑い深く、協調性に欠ける風土が残っていると言われている。憎しみの連鎖と赦し。寛容と不寛容の物語を語るには、アメリカでこれ以上適した土地はない。また、ミズーリという名前を、歴史的意義も含め象徴的に用いることで、この小さな街の物語を、実はアメリカの分断、世界の分断をも視野に入れた、大きな人間の物語へと昇華させている。
2月1日より全国ロードショー