『ルージュの手紙』マルタン・プロヴォ監督
カトリーヌ・ドヌーヴとカトリーヌ・フロ。フランスを代表する2大女優が義理の母と娘を演じるとは、何と贅沢な作品だろう。カネ好き・派手好き・ギャンブル好きのベアトリス(ドヌーヴ)と助産婦として堅実に生きるクレール(フロ)という、両極端な二人が30年ぶりに再会。自由奔放な継母ベアトリスに振り回されることに辟易しながらも、やがてクレールは継母の本当の姿を理解し新たな絆を育んでいくのだが、ベアトリスの体は病に冒されていた・・・。
そんな二人の姿を美しい自然の風景を織り込みながら紡いだのは、フランスのマルタン・プロヴォ監督だ。プロヴォ監督は『セラフィーヌの庭』や『ヴィオレット ある作家の肖像』などでもそうであったように、女性のこまやかな描写に定評がある。本作『ルージュの手紙』(公開中)でもその期待通り、二人の女性の衝突と和解を丁寧に描き、心温まる作品に仕立て上げた。プロヴォ監督、今年は6月のフランス映画祭に加えて、10月の東京国際映画祭(TIFF)では審査員として2度来日。本インタビューは10月のTIFFの合間に実施したものである。監督、やけに日本づいているな・・・と思っていたら、何と次回作は日本で撮影するという驚きの情報も飛び出した取材だった。
――カトリーヌ・ドヌーヴさんとカトリーヌ・フロさんというフランスを代表する2大女優が初めて共演される点でも注目されていますが、二人の起用理由を教えてください。
マルタン・プロヴォ監督(以下MP):物語の構想を考えて目を閉じていたところ、まずフロさんが思い浮かび、彼女の起用を決めました。ドヌーヴさんは言うまでもなく素晴らしい女優ですから大変興味深く、一度は彼女と映画をつくりたいと思っていました。それが叶った次第です。
――ベアトリスとクレールを血の繋がらない母と娘の設定にした理由は何でしょうか?
MP:実の両親に育てられる人もいれば、そうでない人もいます。人間関係の複雑さを描くには、義理の親子関係のほうが適していると思いました。でもそんな複雑な人たちも、今よりも状況が良くなる可能性もあることを見せたかったのです。ベアトリスとクレールが向き合うということは、結果的に自分自身の過去を見つめることです。そうすることで現在の困難な状況を修正できることもあるはずです。
――『セラフィーヌの庭』『ヴィオレット ある作家の肖像』でも思っていましたが、プロヴォ監督の映画は自然の描写がとても美しく印象的です。2作品の主人公は、自然のなかでは自分自身を開放しているようにも思えました。本作のクレールの菜園もとても素敵で、彼女もまた菜園に安らぎを求めているという点は、過去の2作品と共通しているように思えましたが、主人公と自然との関わりについて、監督は何かこだわりがあってのことですか?
MP:それは私の生活環境の影響が大きいですね。私は都会では生きていけない人間なので、自然との触れ合いがないとダメという思いが根底にあります。だから調子が良くないときには森を歩いたり川で泳いだりしています。自然大好き人間なので、画家だったら風景画ばかり描いていたかも。私にとって自然は(映画の)添え物ではなく、不可欠なものなのです。
――クレールはずっと同じトレンチコートを着ています。ベアトリスからも散々けなされていたコートですが、自分の部屋以外では不自然なほど脱がなかったのが気になりました。
MP:クレールはお金に執着しない人。あのコートは彼女の堅実さの象徴です。ただベアトリスに影響されて、徐々にクレールが変わっていく。紆余曲折を経てベアトリスとの間にも信頼関係が生まれ、ベアトリスの影響で濃い色の口紅をつけるようになったり、近所の男性(オリヴィエ・グルメ)に対しての態度にも変化が出てきたりします。ラストシーンではコートも違うし、スカーフもこれまでのクレールの趣味とは違うものだけど、ベアトリスから貰ったものを身に着けています。それからラストシーンでは菜園の変化にも気づいてほしいですね。お花がいっぱい咲いて美しいでしょう? ベアトリスとクレールの関係を例えたかったのです。