十年
2016年4月に行われた香港電影金像奨(香港版アカデミー賞)の授賞式。中国の各ニュースメディアで速報された受賞結果一覧に、「作品賞」の項目はなかった。レッドカーペットの模様や俳優賞の結果は速報しているのに、である。上から“お達し”があったのは明らかだ。作品賞を受賞したのは『十年』。スターの出演はなし。5人の若手監督が作った5つの短編からなるインディペンデント映画だった。
中国がこの受賞を報じなかった理由は、本日7月22日(土)公開の本作を観ればすぐわかる。
1997年の中国返還から20年。現在の香港の状況は、「返還後50年間は『高度な自治』を認める」とした「一国二制度」の約束から大きくかけ離れている。“中国化”を推し進めようと北京政府が触手を伸ばしてくるなか、『十年』は、香港人としてのアイデンティティが失われることへの危機感を色濃く反映した内容だからだ。
「2025年」という近未来を舞台にした5つの短編のあらすじは公式サイトに詳しいのでここで紹介することはしないが、全編を通して感じるのは「何も言わなかった/してこなかった」ことへの悔恨だ。
5話目の「地元産の卵」は食料品店を営む男が主人公。香港に唯一残った養鶏場から卵を仕入れていたが、ついにそこも閉鎖が決まる。「地元産」という札を立て、最後の香港産卵を売る男。そこへ、男の息子が団長を務める“少年団”が、「『地元』という言葉は『良くない言葉のリスト』に入っている」と店の写真を撮っていく。
この少年団が、1960年代から中国を混乱に陥れた文化大革命時代の紅衛兵にそっくり。
男は息子に言う。
「人の言いなりになるな。考えろ」。
最後の1話にこの物語を持ってきた製作陣のメッセージが、この言葉に託されているように思う。
流れに呑まれるな。
今「当たり前」だと思っていることは、本当に当たり前なのだろうか?「どうしようもない」と思っていることは、本当にどうしようもないことなのだろうか?
中国返還以降、香港の多くの映画人たちは、中国の市場、中国の資本に頼って映画づくりを継続してきた。このままでは終われない彼らの、ある種の決意表明が、『十年』への金像奨授与だったのではないだろうか。
自分で考え、行動を起こせば未来は変えられるーー『十年』が描くものは、日本人にとっても他人事ではないはずだ。
7月22日より新宿K’s cinema ほか全国順次公開