【SKIP CITY IDCF】三尺魂
【SKIP CITY IDCF2017】長編コンペティション部門
三尺玉の花火を使って集団自殺を図るため、ネットを通じて出会った4人の男女が、狭い倉庫のような小屋に集まってくる。お互いに顔を合わせるのは初めてだ。4人目が遅れているので、もう始めてしまおうと、主催者でもある花火師が説明を始めてしまう。ところが、そこに入ってきたのは何と女子高生。すると、死のうと集まったはずのメンバーは一転、彼女の自殺を止める側に回る。このファースト・シーンからして、すでに滑稽である。死のうとしている人間が、他人の自殺を止めようとするナンセンス。説得力も何もない。イライラした女子高生が起爆装置を勢いで押して、花火は爆発するが、何故か時計の針が逆戻りし、またひとりひとり小屋に集まるところから、時間が繰り返されてしまう。「もしかしたら、時のループにはまり込んでしまったのか」ループにはまり込んでいくのは、何故か毎回1人ずつなので、各自の混乱ぶりと、それにはまり込んでいない者とのギャップも可笑しい。シチュエーションが一緒でも、しつこくなりそうなところは上手に省略されており、各自の言動も[体験]を重ねるにつれて変わっていくので、同じことが繰り返されながらも、常に新鮮さを保っている。「女子高生が原因で、こんなことが起きてしまっているのか」それぞれが、何とかこのループを脱しようと、彼女の説得を試みる中で、その人となりや、自殺に追い詰められていった経緯などが見えてくるというドラマの作りが、とても面白い。深刻なのに、可笑しく、軽妙なのにそのテーマはシリアスで重いのである。この作品の魅力は、この発想のユニークさに尽きると思う。
『三尺魂』タイトルが本来の「玉」から「魂」に置き換えられていることに、すぐに気が付く人もいることだろう。そうなのだ。花火の玉は単なる玉ではなく、魂そのものなのである。花火は打ち上げられて初めて美しい花を咲かせることができる。自殺の道具に使われ、地上で爆発させられたら、それは単なる失敗というわけで、花火にとっては、目も当てられない結果となってしまう。そういう意味では、時間をループさせていたのは、花火そのものなのかもしれない。とすると、そのループは、花火がきちんと打ち上げられない限り、すなわち自殺の計画が取りやめられない限り、決して止むことはないものなのである。
もしかしたら作者は、打ち上げ花火の失敗シーンをヒントに、この作品の発想を得たのだろうか。花火が地上で橋発するシーンの映像は、Youtubeでも見ることが出来るが、映画で使われた映像に酷似している。打ち上げに失敗した後の花火師、彼がもし小規模な業者で、一発100万円以上もするという三尺玉打ち上げの大きな仕事を引き受けていたとしたら、その後の人生はどうなってしまったのだろう。そこからは様々な物語が浮かび上がってくることだろう。
この小屋は、そもそも花火の玉そのものとも言える空間になっている。真ん中に割火薬に相当する三尺玉が備え付けられ、その周りを花火の美しい光の元になる星に相当する人間たちが、椅子に座って取り囲んでいるのである。花火はその後、蓋を閉じられ丁寧にテープ上の上質の紙を何層にも巻いて作られていく。それによって玉皮の強度が増し、星が真っすぐに飛び、真円に開くようになるのである。うまく貼れなかった時には、もちろん剥がして均一な形になるように貼りなおされることだろう。映画の中の時間の繰り返しは、その工程によく似ている。何回も何回も繰り返されることで、人間の強度が増し、各自の考え方が変わっていくからである。「人生とは玉ねぎのようなものである。涙を流しながら何かを求めて、何度も何度も剥いていくうちに、小さくなっていって、最後は何も残らない」これは映画の中で登場人物が言うセリフだが、それでは、なんと人生とはむなしいものだろう。時にはうまくいかなくても、何度も何度も上質紙のテープを貼ってきれいな形にしていく花火のように、人生を積み重ねていく。その仕上げに花火の打ち上げに当たる、死というものがある。そう考えれば、日々の暮らしも違ってくるはずだ。この作品には、全体を通じてそんな考え方が流れている。人生に勇気を与えてくれる作品だ。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017 開催概要
■会期: 2017年7月15日(土)~7月23日(日)
■会場: SKIPシティ 映像ホール、多目的ホールほか(川口市上青木3-12-63)
彩の国さいたま芸術劇場(さいたま市上峰3-15-1)
[7/16、7/17のみ]
こうのすシネマ(鴻巣市本町1-2-1エルミこうのすアネックス3F)[7/16、7/17のみ]
■主催: 埼玉県、川口市、SKIPシティ国際映画祭実行委員会、特定非営利活動法人さいたま映像ボランティアの会
■公式サイト:www.skipcity-dcf.jp