柳下美恵のピアノdeシネマ2017~三大喜劇王特集③

『爆裂映画館』ハロルド・ロイドは道化師ではない!?

三大喜劇王の3人目は、ハロルド・ロイドです。ロイドといえば、ストロー・ハットに、ロイド眼鏡(丸眼鏡)、フランネル・スーツというスタイルが有名ですが、『爆裂映画館』でのロイドは、キツキツの上着に、でかいドタ靴、2つに分かれたチョビヒゲというスタイル、ロンサム・リュークというキャラクターでの登場です。なぜこのスタイルのロイドは今日ではほんど観られる機会がなくなったのか。また、ロイド、キートン、チャップリンの違いは何かなど、話は広がっていきます。

『爆裂映画館』

ストーリー

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『爆裂映画館』これがロイドです。

チャップリンのような扮装のロイドは映画館でお仕事中。切符を売って、モギリをして、観客の案内までをひとりでこなす。美人のお客さんには弱く、ついつい特等席を用意してしまう。映写室ではフィルムが絡まり、映写技師が悪戦苦闘。満員の映画館。果たしてこんなことで、上映が出来るのか。

上映前解説

柳下美恵さん(以下柳下) 「この作品は映画館の中の話なので、当時の映画館の様子がすごくわかって興味深いですね。ピアノがもちろんあって、ピアニストが何をしているかとか、映写室で映写技師が何をしているかとか。今の若い人はフィルム自体を見たことがない人も多いかとは思いますが、フィルム自体のギャグも出てきますよ」

新野敏也さん(以下新野) 「この映画も、当時色々なところで売られておりましたので、いくつもタイトルがつけられています。画面にはシネマ・ディレクターというタイトルが出ますが、Luke’s Movie Muddleとか、Luke’s Model Movieというタイトルも付けられていました。昨年の『ロイドの福の神』にご来場されていた方が本日の作品をご覧になると、ナニコレって思われるかもしれませんが、この当時のロイドは、チャップリンの後追いで、彼の真似をしていたのです。それで眼鏡は掛けておりません。ロイドは、最初ウイリー・ワークというキャラクターで売り出したのですが、あんまり売れなくて、次にロンサム・リュークというキャラクターで再び売り出します。その内の1本が本日の作品です。この頃、ほぼ2日に1本くらいの量産ペースで作品が発表されていまして、製作本数は大体200本とか300本もあったようなのですが、火事で焼けてしまい、現存するのはこの作品しかないようです。後年の洗練されたロイドを思い浮かべてご覧になると、ひっくりかえるぐらいメチャメチャな作品です」

トークショー「ハロルド・ロイドは道化師ではない!?」

柳下 「ロイドは、ロイド眼鏡と言われる丸眼鏡が特徴で、すごくとぼけた感じなのに、本日の作品はまるでチャップリンみたいでビックリしました」

新野 「なおかつすごく暴力的ですよね」

柳下 「チャップリンも最初の短編の頃は、本当に暴力的な感じなので、やっぱりそれを真似していますよね」

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これはロイドではありません。アール・モーハン

新野 「はい。途中でチケットを買いに来ているお客さんにロイド眼鏡をかけている役者(アール・モーハン)が出てくるのですが、海外文献で見ますとこの人は、他のロイド作品にもロイド眼鏡をかけて出てきていますので、ひょっとするとロイドはこのキャラクターを見て、この小道具(眼鏡)を使うとイメチェンできるんじゃないかと考えたのかもしれないですね」

柳下 「そこに落ちつくまでのロイドが見られて、私としてはとても良かったのですが…。この頃のコメディの傾向ってどういうものだったのですか」

新野 「本日ご覧いただいたのはチャップリンの作品が1914年、これが16年、『キートンの即席百人芸』が21年になります。14年以降マック・セネットがキーストンという会社を作ってからドタバタ喜劇は世界的ブームになります。第一次世界大戦にアメリカが参戦したころからヨーロッパ映画が衰退しまして、世界中のスクリーンがアメリカ映画一辺倒になっていきます。その時、マック・セネットとその亜流のコメディの潮流は、世界中に広がっていきました。この時代は短編映画が主流で上映プログラムが組まれていたのですが、その7割の作品は、コメディで占められています。この1914年から1925年くらいまでの約10年間が喜劇の黄金時代と言われています。アメリカでは、すべてのプロダクション、配給会社が何千人というコメディアンと、専任の監督、プロデューサー、ギャグマン、カメラマンなどを抱えて、コメディを作っていました。本日上映した作品は、その当時のコメディの作り方の定番とも言えるでしょう」

柳下 「今回は、ロイドとキートンとチャップリンを特集したのですけれども、ロイドは珍しい作品、チャップリンは定番の扮装が出来上がった最初の作品、キートンは我が道を行くという感じのものだったのですけれども、3者の違いというのはどういうところですか」

新野&柳下

柳下さん、新野さん

新野 「今日三大喜劇王と言われている、キートン、チャップリン、ロイドの違いですが、
チャップリンとキートンはパントマイムを基本に、元々舞台の経験を持っておりましたので、映画でなくても、舞台でも活躍できる実力を持っていた人です。一方、ロイドの場合は役者になりたいというところから出発しています。けれども結局うまくいかずにどうしようと考えあぐねていた時代に、ちょうど映画の黎明期が重なったのです。そこでユニバーサル社のエキストラとなり、映画俳優の経験を積んでいったわけです。当時の喜劇のブームに合わせて、ドタバタでスタートするのですが、何しろ何千人ものコメディアンが群雄割拠している中では、よほどの個性がなければ、その大勢の中の単なる1人として埋もれていってしまいます。それでどうしようと悩んでいた時に、エキストラ仲間のハル・ローチという人と出会うんです。ローチがプロデューサーとなってロイドと組んで、何か新しい喜劇の方向性がないかと創案したのが、ロイド眼鏡のあの有名な形です。ロイドがチャップリン、キートンと全く違うのは、道化を演じないというところです。本日ご覧いただいた作品はまるっきり道化なのですが、有名になってからのロイドは道化を演じておりません。周りの状況や他の出演者のほうでギャグを組み立て、カメラ・アングルや編集に手間をかけて、ストーリーに深い意味を持たせるよう作っていました。キートンの『即席百人芸』のように、散漫な感じで、思い付きのギャグを繋げていくようなことはやっていません」

柳下さん3柳下 「ロイドは道化を演じないということでしたが、でも身体能力もありますよね」

新野 「この当時のコメディアンですので、身体能力はそれなりにありますけれども、例えばキートンのように自分もアクロバットで売ろうとか、チャップリンのようにパントマイムで売ろうということを敢えて避けております。もちろんクライマックスではそれなりに持っている身体能力を発揮しますが、基本的には、カット割りとか撮影の方法、カメラのアングルとかストーリーで見せていくのが、彼の作品の大きな特徴です。因みに、マルセル・マルソーとかまでも含めての20世紀のコメディアン、パントマイミストのトップ100をやると、ロイドは入っていないんですよ。なぜかというと、ロイドは道化師ではないというのがその理由なんですね」

柳下 「ではどういう扱いなんですか」

新野 「映画スタアですね」

柳下 「でも、三大喜劇王って言われているのだけれど」

新野 「3人の中で稼ぎが一番大きかったのは、ロイドです。チャップリンは長編が段々進化していくにつれてコメディから離れていっていますけれども、ロイドは最後まで喜劇で通していて、自分はコメディアンだって思っていたのですけれどもね」

柳下 「コメディアンなのだけれども、みんなからはあまりコメディアンとしては認められていなかったということですか」

新野 「映画スタアとしては不動の地位は維持していたのですけれども、コメディアンというよりは道化師として認められていなかった関係があって、喜劇そのものを研究している人たちとか、道化を研究している人たちからすると、番外編のような扱いなんですね」

柳下 「アメリカの映画が世界を席巻していたので、三大喜劇王というと、この3人になるのですか」

新野 「基本的にサイレントの時代ですと、三大喜劇王というとこの3人になりますね」

柳下 「フランスとかイタリアとか他にもいっぱいコメディアンはいるかとは思うのですが、結局ハリウッドのこの3人がダントツだったということですか」

P1019798(2)新野 「まあ、ダントツというよりも、彼らが活躍している絶頂期が第1次世界大戦と第2次世界大戦の間で、その頃アメリカ映画が世界中のスタンダードになっていたからというところもありますね。なので、第2次世界大戦が終わって以降ですと、三大喜劇王ということ自体が薄れちゃって、フランスだとルイ・ド・フュネスとかジャック・タチ、アメリカでもジェリー・ルイスとかダニー・ケイとかが出てきます」

柳下 「この頃はアメリカ映画自体が凄いし、喜劇がアメリカの中でも凄く人気があったということなのですかね」

新野 「特に1920年代前半で、喜劇映画の売り上げがどれだけ凄いかというと、キートンの師匠ロスコー・アーバックルが1921年に属したパラマウントでは、彼の作品(『石油成金』)が興行収入1位になっています。当時グリフィスなどドラマで大成功している人たちはいくらでもいたのですけれどもね」(※同社ルドルフ・バレンチノの『シーク』も同じ年)

柳下 「それは、どれくらいの尺の映画だったのですか」

新野 「完全なものが現存していないということもありますので、正確には言えませんが、手回しで1秒16コマでやっていたとしますと、おそらく70分くらいの作品だったと思います。その後、作品がメキシコで発見されたので、それをビデオで観たのですが、スラップスティック(ドタバタ喜劇)というよりもシチュエーション・コメディ(状況喜劇)に近く、すごく洗練された感じの作品になっていました。アーバックルは自身のお家芸であるドタバタを演じていないのですが、それでもこれが、当時のパラマウント配給では全米第1位になっています」

柳下 「コメディというとお客さんがすごく入るので、お客さんを動員するにはいいですよね。ちょっと飛躍するのですけれども、日本では斎藤寅次郎という監督がいて、その方は日本の喜劇映画としてはすごく身体性がある映画を作っていたと思うのですけれども、彼の作品も結構失われてしまっています。すごく人気があり色々なところで掛けてフィルムが傷み、廃棄になってしまったためではないかと。このことをすごく皮肉に表現した方がいて、小津安二郎監督の映画は評価されているけれど、あんまり映画館で掛けられなかったから残っているという(笑)、そういう言い方をする方もいらっしゃったので、これはあながち間違いではないかとも思うのですね」

新野 「斎藤寅次郎監督の作品で言いますと、この当時のマック・セネットとの映画にすごく影響を受けていますね。バカバカしく、すごいところが。でも小津安二郎監督もこの時代ですと、ハル・ローチのちびっこギャングに触発されて、『突貫小僧』『生まれてはみたけれど』とか作っていますね」

※写真資料提供:©喜劇映画研究会&株式会社ヴィンテージ



≪新野敏也(あらのとしや)さんプロフィール≫
喜劇映画研究会代表。喜劇映画に関する著作も多数。
最新刊「〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る」
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Web:喜劇映画研究会ウェブサイトhttp://kigeki-eikenn.com/

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