柳下美恵のピアノdeシネマ2017~三大喜劇王特集①
柳下美恵のピアノdeシネマ2017、毎年恒例の喜劇映画特集が5月5日こどもの日に渋谷アップリンクにて行われました。ゲスト解説は、もちろん喜劇映画研究会の新野敏也さん。今回は昼の部と夜の部の豪華二部構成で「三大喜劇王」の魅力に迫っております。ここだけでしか聞けないトリビアの数々を、惜しげもなく披露された新野さん。その熱弁を、今回は4回に分けてたっぷりお届けします。第1弾はチャップリンの『ベニスにおけるベビーカー競争』チャップリンの扮装の秘密にも迫ります。
『ベニスにおけるベビーカー競争』
ストーリー
ロサンゼルスの海浜遊園地ベニスでは、ニュース班がベビーカーのイベントの様子を撮影していた。そこに現れたチャップリンは、カメラに写りたくて、写りたくて仕方がない。カメラの前に現れてはポーズを取り、撮影の邪魔をし、カメラマンたちを混乱させるのだった。
新野敏也さんによるトリビア解説
映画の背景
チャップリンの『ベニスにおけるベビーカー競争』は、103年前に作られた作品です。この作品で、チャップリンが初めて放浪紳士の格好で出演します。とはいえ『モダンタイムス』や「街の灯」をご存知の方は、かなりぶっ飛ぶような内容となっています。
19世紀の終わりから20世紀の初めには映画館はまだなく、映画は演芸ホールのようなところで、出しもののひとつとして上映されておりました。ようやくこの作品が作られた頃に、映画自体が独立しまして、映画館で上映されるようになりました。その当時の映画館では、このような短い5分くらいの映画ばかりが上映されていたのですが、コメディ以外にも、ニュース・フィルムとか教育映画も一緒に上映されていました。この映画はニュース・フィルム風に作られておりますので、ニュース映画の合間にやることで、面白い効果を上げていたと思われます。
演芸ホールから独立したばかりの頃の映画は、まだ演劇の延長という感じで捉えられていて、スクリーンをステージと同一に設定する意識が全般的にありました。それに対してこの作品は、屋外の奥行き感のある風景を活かし、被写体に向けてカメラを横に動かしたりする(パン移動)など、映画として独立して作られています。また、映画が普及してまだ日が浅い頃で、当時実際にいたであろう、写りたい一心で撮影を邪魔するおじさんをネタにしているところが革新的です。
作品の背景を説明しますと、まずベビーカーというのは、アメリカではソープ・ボックス・カーと言いまして、動力のない車輪付きの木箱みたいなクルマを坂から転がすお遊びです。タイトルには競争とありますが、実際に競争するわけではなく、むしろイベント的にお祭りを盛り上げるためのアトラクションでした。この作品は、丁度そういうイベントが行われていたところに、監督たちが扱いに困っていた映画界へ転向したばかりの新人チャップリンを使い、何か撮ってみたら面白い作品になるのではないかと即興で作ったものです。
ちなみに、カメラマン役はフランク・D・ウィリアムズという人なのですが、彼は実際にキーストン社のカメラマンで、この作品以外のチャップリン出演作の大半を撮影しております。数年後に、大スターのデブ君ことロスコー・アーバックルがキーストン社から独立する際に同行して、さらにその後は合成技術を得意とする特殊カメラマンとして活躍します。彼が生み出したのが、マット合成という技術です。1930年代には、『キング・コング』とか『透明人間』のマット合成を担当することになります。
チャップリンの扮装の秘密
チャップリンは、衣裳部屋の中から、彼の先輩格の俳優ロスコー・アーバックルのダブダブのズボン、フォード・スターリングの靴、チャールズ・アべリーという監督兼コメディアンの小さな上着、ロスコー・アーバックルの奥さん(ミンタ・ダーフィ)のお父さんの帽子、それと小道具部屋にあった竹のステッキを使って、この扮装を考え出したということになっています。
しかし異説があります。チャップリンは映画に出る前、フレッド・カルノー座という英国の劇団に所属していたのですが、そこの先輩芸人でスコットランド人の、ビリー・リッチーという人からこの衣装を譲り受けたというものです。チャップリンがこの扮装で人気が出てからは、真似するコメディアンもすごく増えたので、チャップリンは訴訟を起こしてそれを全部叩き潰していたのですが、ビリー・リッチーには、逆に彼のほうから「私こそが本家です」と訴訟を起こされました。結局これは、チャップリンのほうが、言い方は悪いのですが、うやむやにしてしまったようです。
それでもビリー・リッチーのほうはあくまでも、この扮装は自分が譲り渡したものだと言っています。彼によれば、これはカルノー座の「おしどり」という芝居の中で、自分が考案したキャラクターだということです。実際に、スタン・ローレルも代役を演じた際には同じ扮装をしていて、その写真が現存しておりますので、これは間違いないかもしれません。ビリー・リッチーは早くに亡くなっているのですが、チャップリンは、カルノー座のコメディエンヌでもあったリッチーの奥さん(フィニフレッド・モンロー)を、チャップリン専任の衣装担当として『独裁者』まで、ノン・クレジットではありますが雇っています。
ビリー・リッチー自身もこの当時、ものすごく人気がありまして、自分が本家ということでチャップリンに対抗し、ブロマイドやポスターを作って売り出しておりました。ちなみに『ベニスにおけるベビーカー競争』で監督役を演じていたのは、実際にこの作品の監督でもあるヘンリー・パテ・レアマンという人ですが、雇い主のマック・セネット、チャップリンと折り合いが悪くてのちに独立し、L-KO(レアマン・ノック・アウト社)という会社を作ります。そこで売り出したタレントの第1号がビリー・リッチーとなります。
オマケ
写りたくてカメラを意識するおじさん(チャップリン)の即興劇ですが、何とプードルが満場の人々をかき分けて、しきりに顔を出してカメラ目線を送っておりました!
写真資料提供:©喜劇映画研究会&株式会社ヴィンテージ
≪新野敏也(あらのとしや)さんプロフィール≫
喜劇映画研究会代表。喜劇映画に関する著作も多数。
最新刊「〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る」
著者:マック・セネット 訳者:石野たき子 監訳:新野敏也 好評発売中
Web:喜劇映画研究会ウェブサイトhttp://kigeki-eikenn.com/