残像

全体主義~万物はすべて色彩を失ったかのように~

Zanzou_main1「人々を人間として余計な存在とすること。多様でそれぞれが唯一無二の人々が地上に存在するという人間の複数性を否定すること」ハンナ・アーレント著「全体主義の起原」の序文で、全体主義はこのように定義されている。アンジェイ・ワイダ監督は、社会主義政権の弾圧により、社会的に抹殺されたポーランドの画家、ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの姿を通して、その意味を描いている。

アンジェイ・ワイダ監督は、画家の伝記映画であることを多分に意識して、この作品では全体主義の意味を色で表現しようとしている。撮影はワイダの数々の作品を手掛けたパベル・エデルマン。ストゥシェミンスキの絵画、彼の作品が展示さけている美術館の壁は、色が溢れだしてくるようなイメージ。一方、街の風景は「太陽が輝いて空は青く澄み切っていたにもかかわらず、万物はすべて色彩を失ったかのようで・・・」と、ジョージ・オーウェルが「1984年」(ハヤカワ文庫新庄哲夫訳)で書いたごとくの世界を映像にして見せる。

Zanzou_sub5 色による表現ということでとりわけ鮮烈なのは、画家のアトリエ兼住居があるアパートメントが、スターリンの赤い垂れ幕で覆いつくされるシーンだ。強烈な赤色が光を通して窓の中に入り込んでくると、彼が描きかけていた絵は、一瞬で色を失ってしまうのである。緑も青も黄色も、強烈な赤の前では、すべてが同じ色に染まってしまう。これでは絵は描けない。もちろん、これは強力な国家のプロパガンダが、異なる思想を放逐することを象徴している。画家は躊躇なく窓を開け、目の前の赤い布切れを引き裂く。大きな垂れ幕の中では、小さな部分。けれども遠くから見てもそれは目立ってしまい、たちまち気が付いた警察官たちに彼は捕らえられてしまう。全体から見れば、小さな傷。しかし、それが象徴するものからしたら大きな侮辱と取られる行為。全体主義においては、個人の小さな違反でも、秩序を揺るがすものとなってしまう。それをワイダ監督はこのワン・シーンだけで表現する。

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