【イスラーム映画祭2】蝶と花

雨上がりに咲いた希望という名の花

蝶と花ムスリムが住民の多数を占めるタイの南部を舞台にしたこの作品で、まず目を惹かれるのは、見たことのないその風景である。学校から細い通学路を通って、駅に向かう道筋には緑が溢れ、駅の周辺には、木造の粗末な屋台が立ち並び、野菜や、おそらく中古の服や、食器などが売られている。いつも開いているわけではないので、市のない時には、とても殺風景な風景へと変わる。舗装されているところはひとつもない。原初的な自然の中に人々の暮らしがある。しかし、この豊かな自然の中に暮らす人々は、とても貧しい。その中でも、主人公フージャンの家は特別貧しい。妹、弟は学校へ行くことも叶わず、家でいつもブラブラしている。彼自身も、学校の終了試験に必要なお金さえ出せないような状況にある。母はない。父親は駅で赤帽の仕事をしているが、大した身入りもなく、毎日食べるお米にさえ、事欠く始末だ。家は沼のほとりのバラック小屋。雨露さえ凌げれば、といった程度の粗末なものである。ただ、家からは、小さいながらも立派なモスクの姿が見え、アザーンの音がよく響き渡ってくる。こんなにもモスクに近いのに、こんなにも不幸というところが、皮肉だ。

それにしても、この貧しさ。てっきり70年代初めくらいの作品かと思っていたら、この作品が製作されたのは、1985年だという。この頃は、タイが急速に発展していった時代。都市部では、高層ビルが次々に立ち並び、人々は急速に豊かになっていった。それまでの高い貧困率もこの頃から低くなっていく。それだけに、この家族の貧困ぶりには、驚くべきものがある。そういう目で見ると、村自体もまるで時が止まってしまったかのように感じられる。筆者が70年代初頭の作品の勘違いするのも無理もない。仏教国というイメージの強いタイ。それほどまでに、ムスリムたちが住むこの地域というのは、冷遇されていたのである。

主人公の名前フージャンというのは、雨を意味するのだという。彼が学校に植えられたレインツリーをいつも大切に思い、熱心に水を与えていたのには、そんなわけがあったのである。結局フージャンは、自分の進学を諦め、妹、弟を小学校に通わせるため、白米密輸の仕事を始める。電車の椅子の下や、床下の箱に品物を隠し、マレーシアとの国境の町まで運ぶ。もちろん無賃乗車なので、車掌がくれば、屋根の上に昇って隠れなければならない。フージャンと同じ年ごろの子が数十人はいて、徒党を組んで仕事をしている。車掌のほうも、このことがわかっていて、直接現場を押さえない限りは、見て見ぬふりをしているようだ。鉄橋にさしかかる前、必ず汽笛が鳴らされるのは、おそらく度々事故が起きたということもあろう。これは、かなり危険な仕事なのである。もちろん違法行為なので、警察に見つかれば、即逮捕となる。学校では、成績も1番だったフージャン。先生の応援も受けていたにも関らず、学校を止めざるを得なかった心の内はどんなだっただろう。久しぶりに学校を訪ねた時、フージャンの分身とも言えるレインツリーの黄色くなった葉っぱが、彼の肩にたくさん舞い落ちるのが、何より彼の状況を象徴している。彼は、それに気が付くことさえないのではあるが。

このような苦しい状況を描きながらも、この映画にはそれほど暗さが無い。例えば、メキシコ映画の『闇の列車、光の旅』『僕らのうちはどこ? ―国境を目指す子供たち―』のように。むしろ青春ドラマといったテイストがある。フージャンと同じような境遇にあり、彼を闇取引の世界へと引き込んだ同級生の少女との淡い恋、闇商売仲間の少年たちとの友情、喧嘩、ちょっとおめかしして出かけたお祭りでのデートや馬鹿騒ぎ(イスラームのお祭りとはいいながらも、イスラームっぽさがなく、まるで日本の村祭りのようでもある)。例え、貧しくてもそこには普通の青春の風景があるのだ。その理由は、この作品が社会的な告発にあるのではなく、あくまでもこうした境遇から抜け出そうとしている、少年少女たちに捧げられた映画だからである。主人公の名前と、彼が大好きだったレインツリーには、作者のそうした思いが強く込められている。そもそもレインツリーは、雨が降ったら葉っぱを閉じ耐えしのび、晴れたらまた葉を広げる、ということから名づけられた木。今は雨が降っていても、いつかは晴れる、それを象徴するものである。それゆえにこの作品のラストは、雨上がりの朝、まぶしい太陽の光に向かって、主人公たちが歩いていくところで終わるのである。彼らの未来に幸あれ!そう思わずにはいられない。

※その後この地域の貧しさはだいぶ解消されたという。今では列車の上に乗って密輸をするなどということは行われていない。しかしながら、この地域は他の場所に較べると、やはり所得、教育などさまざまな分野において、未だ遅れた状況に置かれ,タイの貧困層を形成していることに変わりはない。特にタクシン政権時代(01年~06年)には、強引なタイ同化策がとられたため、非常に苦しい状況にあったという。2000年代以降、南部3県では5000人以上が独立運動や暴動で亡くなったというデータもある。この作品を観ていると、テロ(だからといって、これは決して肯定できるものではないが)や、暴動は今突然はじまったものではなく、歴史の積み重ねの中で不満がマグマのように溜めこまれてきたものであることを、改めて理解できるのである。

【開催概要】

【東 京】※全9作品
会期 : 2016年1月14日(土)~20日(金)
会場 : 渋谷ユーロスペース( http://www.eurospace.co.jp/ )
【名古屋】※全9作品
会期 : 2016年1月21日(土)~27日(金)
会場 : 名古屋シネマテーク( http://cineaste.jp/ )
【神 戸】※全8作品
会期 : 2016年3月25日(土)~31日(金)
会場 : 神戸・元町映画館( http://www.motoei.com/ )



主催 : イスラーム映画祭実行委員会
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