【イスラーム映画祭2】泥の鳥

バウル音楽はすべての壁を超える

泥の鳥パキスタンからの独立前夜のバングラデシュ、少年アヌと家族は、小さな村で父と母、妹と共に平和に暮らしていた。時々父の弟が訪ねてきて、遊びに連れて行ってもらえることも楽しみのひとつだった。敬虔なムスリムである父は、いたずらが過ぎるということで、アヌをマドラサ(イスラームの神学校)に入れる。なかなかなじめ場に馴染めないアヌだったが、1人親しい友だちもできるのだった。そんななか、この小さな村にも、独立戦争前の不穏な空気が満ち始めて行く。

少年の父親は、敬虔なムスリムで、日常生活でも戒律をきちんと守っている。時に子供たちには厳しすぎる面もあるが、病弱な娘のことを誰よりも心配する優しい父親でもある。一方、彼の弟は西洋思想を学び、政治にも熱心で、友人たちとしばしばデモに出かけたりしている。兄が反対するのにも関らず、子供たちをヒンドゥーの祭に連れていってあげたりする優しい叔父でもある。デモに行く時、彼は友人たちにからかわれる。結局お前たち兄弟は良く似ている。一方は信仰に傾倒し、一方は西洋思想に傾倒しという違いはあるけれど、頭でっかちになっているという点では、同じじゃないかと。

彼らのセリフが興味深い。「マルクスは結局ドイツ人ではないか、結局俺たちは西洋に支配されることに変わりはないではないか」この地ではクリケットなど英国時代の置き土産もまだまだ残っていることが、前のセリフにもちょっとだけ出てきている。彼らは西洋思想を学びながらも、どこかで英国に支配されていた時代の記憶があり、それが冷静に自分たちを見つめさせることに繋がっているのではないだろうか。「イスラーム教だって、西洋のものなのじゃないか」「あれは違うよ。自分たちが、この土地で育てていったものなのだから」強制ではなくて、自分たちが選び、自分たちのものにしていったのが、イスラーム教。西洋思想を学ぶ者であっても、こうした意識を持っているようだ。

ここに、広くバングラディシュのムスリムたちが共有している意識を見た思いがした。何より自分たちは、ベンガル人であるというところに彼らは立脚しているのである。それだけしっかりとしたものがあるからこそ、彼らはヒンドゥーの祭も受け容れるし、バウルという異教的な音楽も受け容れているのかもしれない。その点では彼の兄が、同じムスリムが私たちを攻撃してくるはずがないと、頑なまでに信じ切っていたのとは対称的である。この独立戦争の対立軸は宗教ではない。それは、ウルドゥー語を話す東パキスタン(パキスタン)の人々による、ベンガル語を話す西パキスタン(バンクラデシュ)の人々への差別にあったのである。そういう意味で、バングラデシュの例は、今世界で起きている争いの根本が、宗教的にものに見えていたとしても、実はそんな単純なものではないことを、よく示している。

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