東京ウィンドオーケストラ

響け、不協和音!屋久島の空の下で!

main_tokyowo屋久島の役場の女性職員、詩織(中西美帆)が、日本有数の吹奏楽団「東京ウィンドオーケストラ」(多分似た名前の某有名楽団がモデル)と間違えて、アマチュアの楽団を呼び寄せてしまった…。本作は、焦った彼女が「本物ってことにしときましょう」と、あくまでもミスを隠し通そうとしたことで生まれた騒動を描いたコメディである。

試しにネットでウインドオーケストラというのを検索してみたら、出るわ、出るわ。そもそもウインドオーケストラとは、吹奏楽団のことなのだから当たり前なのだか、webデザインがきちんとしていると、不思議とそれなりに見えてしまう。そこがネットの落とし穴なのである。それでも普通は途中で気が付くはずなのだが、何しろ自分を屋久杉に例え、このままここを動けず、この島で埋もれたまま一生が終わってしまうのだと、投げやりになっている詩織である。細かいところなど見ようともせず、ただ東京の楽団というイメージだけで、公演の依頼をしてしまう。

sub1_tokyowo一方、プロの吹奏楽団と間違えられてしまった側も、普通に考えれば、東京の下町のアマチュア楽団に、わざわざ屋久島の役場から公演依頼がくるはずかないのであるが、屋久島観光の魅力を前にして、常識が完全に吹き飛んでしまっている。屋久島はよっぽど娯楽がないから、安くて済むってことで自分たちが呼ばれたんだと、あくまでも田舎の定型的なイメージだけで、都合よく考えてしまっているのである。結局、常識で考えればあり得ないこの公演は、お互いのどうせ○○だからというイメージだけで成立してしまったと言える。

確かに屋久島のイメージは、筆者も、あまりにも定型的なイメージしか持っておらず、楽団員たちを笑ってばかりはいられないところがある。屋久島というと、成瀨巳喜男監督の『浮雲』のイメージが強すぎるからかもしれない。腐れ縁の男女が、過酷な現実に翻弄され、ボロ切れのようになってやっと辿りついた、最後の住処。雨ばかり降り続き、憂鬱で過酷な島。もう2人が2度と離れられないように、ここからは一歩も外には抜け出すことができないかのように、鬱蒼とした森の木々が、2人を包み込むそんな島。実は、主人公詩織のここからは抜け出せないといった気持ち、自分を屋久杉に例えた発想も、そんなところからきているのかもしれない。確かに自然は美しい。しかし、現実の屋久島はやはり違っていた。思いも寄らぬ、近代的で立派なホールがあり、島民の方たちも、意外に垢ぬけている。やはりイメージと現実にはギャップがあるものなのである。

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