【イスラーム映画祭2】私たちはどこに行くの?

女性たちが、母たちが世界を変える!

舞台となった村は、実際に存在する場所をロケしたのか、セットなのかはわからない。ただ、キリスト教会とイスラーム寺院が並んで建っていて、教会の隣にある寺院の拡声器からクアルーンが流れてくる風景が、圧倒的に素晴らしい。戦争の傷跡を残し、崩れそうになった峡谷の狭い橋をジグザグになりながら人々が渡っていくという描写と共に、この2つの景色が、彼らの置かれた状況を明快に表しているからだ。すなわち、この村の住人たちは共生しなければ、とても生きていけないこと。しかしながら、壊れかけたこの橋のように、常に下に転落する恐れがある状況にあることである。家族が集まり村となり、それが集まり国となる。この村は、ある意味レバノンを象徴するものとして存在しているといえる。

そのためか、挿話のひとつひとつを見ていると、どれも寓話性があることに気づかされる。例えば、村の人たちをひとつにまとめようと設置されたテレビで、ニュースが流れると、ひとつにまとまるどころか、人々が喧嘩を始めてしまうのは、マスコミに流されやすい大衆を表しているように思えるし、小さな事故が、大きな事件になっていくところなどは、国同士で戦争が起こる時と同じような構造を示しているようにも思える。過去の憎しみは、心の中でくすぶり続け疑心暗鬼となっているため、相手の小さな失敗も、悪意ある行為として捉えられてしまう。売られた喧嘩(実際には売っていないのだが)には、応えなければならぬ。そんなプライドや、家族を守るという意識の強さからか、男たちは、そうした機会にすぐに喧嘩に走ってしまう。それの行き着くところが、血で血を洗う内戦なのである。

女たちはそれに対して、何とか危機を回避しようと、色々な方策を練るのだが、そのうちのひとつ、聖母マリアの起こした奇跡によってムスリムの人たちを懐柔しようとする策略は、おそらくエジプトで実際にあったことがヒントになっているのだろう。すなわち、カイロ郊外の教会の十字架の上に聖母マリアが現れたという噂が広まり、それが国民統合の象徴として祭り上げられ、国がひとつにまとまったという出来事がなぞられているのではなかろうか。聖母マリアはイスラーム教でも、“預言者”キリストの母として敬愛されており、彼女たちはそれを利用しようと考えたのである。この話を選択した裏には、聖母マリアが人々を守るように、女性たちこそが人類の母という立場において、村を、さらには国を守る存在にならなければならないという、覚悟のようなものが感じられる。そして、最後に女性たちが行った、平和のための究極の策略も、実はこの延長線上にあるものであり、かつその驚きの選択が、現実にはあり得ないものであればあるほど、女性たちの平和への願いが強く感じられるのだった。

【開催概要】

【東 京】※全9作品
会期 : 2016年1月14日(土)~20日(金)
会場 : 渋谷ユーロスペース( http://www.eurospace.co.jp/ )
【名古屋】※全9作品
会期 : 2016年1月21日(土)~27日(金)
会場 : 名古屋シネマテーク( http://cineaste.jp/ )
【神 戸】※全8作品
会期 : 2016年3月25日(土)~31日(金)
会場 : 神戸・元町映画館( http://www.motoei.com/ )



主催 : イスラーム映画祭実行委員会
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