アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲
【作品紹介】
『男と女』『愛と哀しみのボレロ』などのフランス映画界の巨匠クロード・ルルーシュ監督と、数多くのルルーシュ作品の音楽を担当したフランシス・レイがタッグを組み、インドを舞台に男と女の大人の恋愛を描く。
ユーモアにあふれた人生を謳歌する映画音楽家のアントワーヌ(ジャン・デュジャルダン)は、ボリウッド版『ロミオとジュリエット』製作のためにインドを訪れる。フランス大使(クリストファー・ランバート)主催の夕食会に参加したアントワーヌは、隣り合わせた大使夫人アンナ(エルザ・ジルベルスタイン)と会話が弾み意気投合。彼女は夫との間に子供を授かりたいと切望しており、その願いを叶えるため、伝説の聖母アンマに会いにインド南部の村へ旅に出る。アントワーヌはそんな彼女を追い、ともに時間を過ごすのだが・・・。
【クロスレビュー】
富田優子/傑出したアンマの存在感度:★★★★☆
アンナとアントワーヌの関係は、「夫がありながら他の男と旅に出るなんてけしからん!」と不愉快な話になりかねないところではある。だがクロード・ルルーシュ監督は「不倫は文化だ!」・・・とは言ってはいないが、杓子定規な倫理的カテゴリーの枠を軽やかに浮遊し、二人の恋心の深まる過程をじっくりと見せている。とは言え、二人ともいい歳した大人なのだから、当然自己責任。それが貫かれているからこそ、観る人にも不快感を与えず、むしろ「まだまだ私も!」と前向きな気持ちにさせてくれるのだろう。そのあたりのルルーシュ御大の手腕はさすがの一言。またインドの風景もこの上なく美しく、監督のかの地への敬意も随所に見られて旅心をくすぐられるし、スクリーンから感じられる風が爽快で(本当はものすごい熱風なのかもしれないが、そうは見せない匠の技)、二人の旅路を盛り立てる。だが何よりも圧巻はアンマ。もしかしてアンナとアントワーヌはアンマの掌で転がされていたのか?と思わせるような、神がかった存在感を見せている。アンマに癒されたい人、続出すること間違いなし???
藤澤貞彦/インドに魅せられる度:★★★☆☆
フランス映画祭で上映された2本の映画、本作と『パレス・ダウン』に写しだされたインドの風景の違いに驚かされた。前者のカメラが、男と女2人を中心にして、その背景に広がる雄大なインドの風景を捉えているのに対して、後者は主人公の少女の眼前の視野内からインドを捉えている。無秩序ならではの自然な美も、至近距離で見ると単なる混沌に過ぎない。いわば前者はファンタジー、後者はリアル。本作のインドの風景は、人々の悲しみを身に受け、抱擁することで慰めを与えている聖女アンマのように、2人を優しく包み込んでいるかのようである。一見幸福な生活を送っているように見えた2人だったが、人知れず心の内に潜ませていた空虚な部分を、旅の中で埋めていく。その共通体験があるからこそ、いけないとわかっていても2人の距離は縮まっていく。出逢う場所がここでなかったら…。そういう意味では、本作のインドの風景は単に魅力的というだけでなく、多分に精神的なものでもあり、作品の根幹を形作っているものだと言える。それは、クロード・ルルーシュ監督自身が見た“インド”の世界だとも言えるだろう。
新田理恵/恋愛を遊ぶ中年男女を見て楽しむ度:★★★☆☆
クロード・ルルーシュ監督が撮った21世紀版『男と女』。アントワーヌは自分大好きで気ままに恋を楽しむ男。アンナは駐インド仏大使夫人という安定した地位を守る女。ふたりは初対面からひかれ合う。男には結婚を迫る恋人がいたり、女は不妊に悩んだりと、中年の2人には当然色々な事情がある。色々あるし、思わせぶりなセリフの応酬も繰り広げる。だけど結局、2人は“恋愛を(真剣に)遊んでいる”のであって、そのプロセスを気楽に楽しませてくれる映画だ。だって、女が二人旅をほのめかす時点で、男もそれに乗っかる時点で、「何かあってもいい(むしろお願い)」と思ってないハズはない。 さすがアムールの国の恋愛映画の権威の作。半世紀を経てもなお潤っている。★が控えめなのは個人的にアンナが苦手だったから。50年前も今も、ルルーシュ監督が描く女は、ものすごく女っぽい女だ。『男と女』でアヌ—ク・エーメが演じた女も「愛している」と言いながら死んだ夫を忘れられずに男を振り回す女っぽい女だったけど、アンナは情緒不安定で何かというと涙を流す別の方向に女っぽい女。個人的に50年前の女の方が好きだったかな。
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9月3日(土)よりBunkamuraル・シネマ他全国ロードショー