【SKIP CITY IDCF】話す犬を、放す

話せない犬を、放せない

オープニング作品

話す犬を、放す

©2016埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ

映画祭出身監督の新作を映画祭実行委員会がプロデュースするプロジェクトの第2弾である本作は、昨年の『鉄の子』が男の子目線の映画だったのに対して、100%女子目線の映画になっている点が興味深い。女優としてのキャリアに行き詰まった娘と、レビー小体型認知症を患いかつての飼い犬の幻視に悩む母親のドラマ。熊谷まどか監督自身の母が、レビー小体型認知症に診断された、その経験がこの作品の核になっている。しかし、いわゆる難病ものといったジャンル映画ではない。それ以上にこちらに迫ってくるのは、女たちの闘う姿なのである。

象徴的なのは、レイ子(つみきみほ)、彼女の映画出演のお膳立てをした俳優の三田、(眞島秀和)、子連れの映画監督(木乃江祐希)が、初めて会合する場面である。日にちは、仕事が忙しい三田が選んだ。場所はベビーカーで子供を連れてきても、周りの迷惑にならない所、という意味もあって、監督が公園を指定した。実はレイ子は、レビー小体型認知症を患っている母ユキエ(田島令子)を、ひとり家に置いて出ることができずに、一緒にここに連れてきていた。邪魔になってはと、少し離れた所で待っていたユキエだったが、子供が泣きだし、その面倒を見る必要ができ呼び出される。仕事の、しかも映画製作の打ち合わせとは思えないような状況がそこに現出する。子供を育てることと、仕事を両立させたいという女の意地、母親の面倒を見ながらでも、チャンスを掴みたいという女優レイ子の意地が、公園にしかれた小さなビニールシートの上で、燃えあがる。それに対して、独身の男には守るべきものはない。自分のことだけを考えていればいい。そんな彼と対等に仕事をすること、その困難がここに凝縮されている。

映画監督が、レイ子を選んだ理由は、役柄のイメージにぴったり合っていたからということだけではなく、打ち合わせの現場に母親を連れてきたこと、その姿に、同志意識を感じたからではないだろうか。彼女となら一緒に闘っていけるかもしれないと。そうでなければ、ろくに話もせず、いきなり役を決定するとは、ちょっと考えにくい。一見すると、パワフルで、細かいことには動じす、エネルギッシュに活動しているように見える監督だが、内実は、ギリギリの状態なのである。レイ子がその後、どういう状況に陥っても文句ひとつ言わず、彼女がいなければ、自分も映画が撮れないというほどにこだわってしまうのは、彼女が自らの闘いに、孤独を感じていることの表れなのだろう。

1 2

トラックバック URL(管理者の承認後に表示します)