【SKIP CITY IDCF】園田という種目
会社の休憩室では、園田はそれぞれの女性たちによって理想化されている。彼女たちはその絵を眺め、何とか彼を自分に引き寄せようとしている。しかし、園田は自分の本当の姿を会社では見せていない。そのことが、彼女たちの想像力を大きく膨らませている。すなわち、彼女たちに見えている絵は、透明であり、実体がない。ここでは、園田という存在は、まるでマジック・ミラーのようなものであり、彼女たちの浅はかな欲望は、その絵の向こう側、すなわち同僚たちのいる側に、丸見えになってしまう。そのため、園田が突然実体を表し、透明でなくなった時、すなわちそれは、自分のみっともない姿が鏡に写し出される時でもあるのだが、彼女たちはただただ狼狽する。一方、アパートの部屋では、園田はそれぞれの思いをぶつけられる存在である。彼の態度を責めようとする人がいる。彼のしたことについて謝ってほしいと思う人がいる。彼を擁護する人がいる。それぞれの彼との距離感が各々の発言となり、仲間との議論によって、自らの立ち位置が鮮明になる。結果的に、彼のことを語るということは、自分を見つめることにもなってくるのである。そういう意味では、園田という存在は、鏡そのものである。鏡の向こう側にいる園田を語ることで、彼らは自分自身の姿を見せられるのだ。
「お前は園田初段だ」悪ふざけとも言えるこのゲームは、意外に真実を突いている。園田という種目は、おそらく格闘技である。「園田を元気づけてやろう的な」会の人たちが、闘って勝ち取るのは友情であり、己を知るということである。一方、会社の休憩室では、園田は種目にはなりえない。なぜなら、彼らは、園田自身に最初から拒絶されており、競技場にさえ入ることができないからだ。あるいは、園田が実体を持った時には、彼のほうが、競技場から追い出されてしまう。この違いに、切っても切れない仲間というものの本質が見えてくる。仲間、あるいは友というのは、文字どおり同じ土俵に上がれる存在なのである。本作は、元々短編作品『園田を元気づけてやろう的 な』(15)を長編化したものだという。短編は、アパートの一室の出来事だけを描いたものだったようだ。本作は、園田が勤める会社の人々を、「園田を元気づけてやろう的な」会の人たちと、同じ比重で配置することで、友情の本質というものを、より立体的に見せることに成功したと言えるであろう。
※上映日時 7.18(月・祝)10:30、7.21(木)14:30
上映作品の詳細や、スケジュールなどは公式サイトでご確認ください。
<SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016 開催概要>
■会期: 2016年7月16日(土)~7月24日(日)
■会場: SKIPシティ 映像ホール、多目的ホールほか(川口市上青木3-12-63)
彩の国さいたま芸術劇場(さいたま市上峰3-15-1)
[7/17、7/18のみ]
こうのすシネマ(鴻巣市本町1-2-1エルミこうのすアネックス3F)[7/17、7/18のみ]
■主催: 埼玉県、川口市、SKIPシティ国際映画祭実行委員会、特定非営利活動法人さいたま映像ボランティアの会
■公式サイト:www.skipcity-dcf.jp