【SKIP CITY IDCF】朝日が昇るまで

悲しいなんて言わないで

【SKIP CITY IDCF2016】長編コンペティション部門
 

朝日が昇るまでメイン

©2015 Pluto Films

おそらく映画史の中で、最も太った男が主人公の作品である。体重が200キロは軽く超えていそうなフェデ。動くこともままならず、家に閉じこもり日がな一日、ビーズ細工の内職に勤しんでいる。唯一の楽しみは、毎週訪ねてくる妹夫婦と話をすることぐらい。おそらく、それによって彼の生活は辛うじて支えられているのだが、妹はそんな兄の元から一刻も離れたいという気持ちを隠すことさえしない。誠に孤独な人生である。青やオレンジ、様々な色で彩られていた壁のペンキや壁紙は剥がれ落ち、部屋はここ十数年何も変化がなく、ただ朽ち果てていくといった風情。それは、彼そのものの存在を表しているようでもある。そんなフェデが、古いカメラに入ったままになっていた未現像のフィルムを見つけた時から、生活が大きく変わっていく。現像するために久しぶりに外に出てみる。カメラ屋にいた孤独な若者パウロに、半分騙されて中古のカメラを買わされてしまうが、彼が意外なことに、友達になっていくのである。

この映画のポイントは写真である。まるでタイムカプセルから現れたかのような古い写真は、彼にも幸せな日々があったことを思い出させる。自分は確かに、こんなにも愛されていたと。写真を見せることで、久しぶりに妹とも笑い合った。妹のお陰で、昔好きだった人にひどい目にあった記憶まで蘇り、怒りの気持ちが戻ってくるのはご愛嬌であるが、それだって、自己否定だけでは、表れてこない感情のはずである。写真を見ている時の彼は、現在置かれている閉塞した状況から明らかに脱け出していたはずであり、それによって生きる気力が湧いてきたのである。

朝日が昇るまでサブ

©2015 Pluto Films

さらに一歩進んで、自ら写真を撮り始めることの意味はとても大きい。それは自分の存在をアピールする手段であり、自己存在証明とも言えるものだからである。写真を撮る行為は、フェデにとっては、まだ人生を生きていきたいという何よりの証なのである。なぜなら、死んでしまっては自分で見ることが叶わず、意味のないものになるかもしれず、また死んだあとに、簡単に捨てられてしまうのであれば、自分の生きた証にもならないからである。そういう意味では、若者パウロそして妹の夫ラモンとの間に、友情が生まれたことが、より一層写真を撮りたいという衝動へと、彼を駆り立てさせたのだろう。また、写真を撮るという行為は、残すに値する価値を見つけるという行為でもあり、さらに彼に生きる力を与えていくのである。

それゆえに、逆に一時的に生きる気力を失ってしまったフェデは、再びカメラを遠ざけてしまう。そんな苦境の中、初めて自分を避けていると思っていた妹の、本当の気持ちを知ることになる。人間は決して一人ぼっちじゃない。暖かく手を差し伸べる、パウロ、ラモン、彼らが唄う歌の歌詞もとても素敵だ。「世界には何千もの悲しい物語がある。だから悲しいなんて言わないで。ペットショップでケージに入れられている猫より悲しいものなんてあるだろうか」この作品の根底に流れるものを、何よりこの歌詞はよく表している。『Walking Distance』(原題)歩行距離あるいは徒歩圏。例え杖をついて歩いていたって、自分だけでは家の周りしか歩けなくたって、人は周りの力で、自分の力で、その範囲を広げることができるということを、この作品は示してくれている。そういう意味で、フェデという男は、映画史上最重量のヒーローであると、言ってもいいだろう。

※上映日時 7.19(火)17:30、7.23(土)10:30
上映作品の詳細や、スケジュールなどは公式サイトでご確認ください。

<SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016 開催概要>

■会期: 2016年7月16日(土)~7月24日(日)B3poster_0519_OL
■会場: SKIPシティ 映像ホール、多目的ホールほか(川口市上青木3-12-63)
彩の国さいたま芸術劇場(さいたま市上峰3-15-1)
[7/17、7/18のみ]
こうのすシネマ(鴻巣市本町1-2-1エルミこうのすアネックス3F)[7/17、7/18のみ]
■主催: 埼玉県、川口市、SKIPシティ国際映画祭実行委員会、特定非営利活動法人さいたま映像ボランティアの会
■公式サイト:www.skipcity-dcf.jp

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