ブルックリン

“移民国家”“多民族国家”アメリカの懐の深さに、古き良き時代を思う

Brooklyn_sub1それと同時に感じたのが、本作の底辺に流れている“移民国家”“多民族国家”アメリカの懐の深さだ。先に新大陸に渡った者が後からやってきた者に生きるための知恵と勇気を与え、助け合う。エイリシュにとってはそれが船旅のコツを教えてくれた女性しかり、デパートの先輩しかり、ブルックリンの寮母(ジュリー・ウォルターズ)しかり、そして神父しかり、だ。アイルランド訛りをからかわれたり、化粧のセンスのなさを笑われたりしながらも、やがてはコミュニティーに受容され、生活の根を下ろしていく。エイリシュだけでは新天地での生活は、極めて厳しかったはずだ。先人たちの存在があってこそのニューカマー。それは移民の人たちが国をつくり、彼らによって支えられていたアメリカ社会の寛容性そのものだ。
また、エイリシュがコニーの家族との食事に招待されたときのこと。イタリア系の彼らとの食生活の違いなどにも触れ、特に彼女がパスタの食べ方を学んでいく様子が微笑ましい。他民族のコミュニティーと交流を持ち、互いの良いところを吸収し、やがては融合していくのも“多民族国家”ならではの美点だろう。

そんな先達への敬意が丁寧に描写されているのは、移民や難民の入国禁止など他者を排斥しようとする空気が蔓延している今日に対する憂慮によるものと感じるのは穿った見方だろうか。今のアメリカに原点回帰する余裕が生まれるのか。ささやかでも夢と希望を抱いてやってきた人々を温かく受け入れてきた国が、これからどう応えていくのか・・・。そんな複雑な思いにもとらわれる。

エイリシュは決断の過程で誤った行動もあっただろう。大事な人たちを傷つけた後悔もあろう。聡明で努力家で、自分をしっかり持っているようでいながら、周囲に流されて自分を見失いかける稚拙なさまは、歯痒い思いを禁じ得ない。だがそのような未熟さも含めて彼女を優しく受け止めた、かの国の包容力に古き良き時代を思う。もし今、エイリシュが存命だとしたら(フィクションと現実が混同しているのはお許し願いたい)、その瞳にはいったい何が映るのだろうか。


第88回アカデミー賞作品賞、主演女優賞、脚色賞ノミネート
7月1日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
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