【柳下美恵のピアノdeシネマ2016】第4回『ロイドの福の神』ゲスト新野敏也さん

~ハロルド・ロイドとドタバタ喜劇の黄金時代~
柳下さんと新野さん

柳下美恵さん、新野敏也さん

 5月20日渋谷アップリンクにおける「柳下美恵のピアノdeシネマ2016」の4回目の公演は、『ノートルダムの仲立ち男』『ロイドの福の神』コメディの2本立て。上映の後には、柳下美恵さんと昨年に引き続き、喜劇映画研究会代表新野敏也さんとのトークショーが行われました。
スラップスティック・コメディとシチュエーション・コメディの違い、当時の撮影方法などを図解で解説する新野さんに、「ピアノdeシネマ」はついに侵略されるのか?その模様をたっぷりお伝えします。

≪新野敏也(あらのとしや)さんプロフィール≫
喜劇映画研究会代表。喜劇映画に関する著作も多数。
最新刊「〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る」
著者:マック・セネット 訳者:石野たき子 監訳:新野敏也 好評発売中
Web:喜劇映画研究会ウェブサイトhttp://kigeki-eikenn.com/


【新野敏也さんによる『ノートルダムの仲立ち男』上映前解説】

『ノートルダムの仲立ち男』(1924年/アメリカ/19分)
製作・脚本:マック・セネット
監督:デル・ロード
出演:ハリー・グリボン、ジャック・クーパー、マデリン・ハーロック

『ノートルダムの仲立ち男』

『ノートルダムの仲立ち男』 自転車で空を飛ぶ!

10年程前この作品を上映する際、日本未公開映画でしたので、会場側の希望でまず邦題を付けなきゃいけないということになりました。原題は『Halfback of Notre Dame』というタイトルです。この映画の前年1923年に『ノートルダムの傴僂男(せむしおとこ)』(原題:『The Hunchback of Notre-Dame』ロン・チェイニー主演)という映画が公開されていまして、これはその題をもじったものです。映画の前半でフットボールの試合が出てくるのでHalfbackとなっています。原題に合わせ、かつ恋愛の仲立ちをするという内容もふまえ、強引に『ノートルダムの仲立ち男』というタイトルを付けさせていただきました。ストーリーは、もう支離滅裂ですので、とにかく直感的に笑っていただければと思います。今で言うAKBのような女の子たちのグループが観客に受けるということを最初に発見した、マック・セネットが製作した映画ですので、“水着美人”とかも出てまいります。セネットが抱えているオールスター・ムービーですので、誰が主役ということではないのですが、映画黎明期の娯楽映画の要素がすべて詰まった作品です。

【新野敏也さんによる『ロイドの福の神』上映前解説】

『ロイドの福の神』(1926年/アメリカ/53分)
製作:ハロルド・ロイド
監督:サム・テイラー
出演:ハロルド・ロイド、ジョビナ・ラルストン、ノア・ヤング

『ロイドの福の神』

『ロイドの福の神』

 チャップリン、キートンは別格ですが、1920年代には、先程の作品のような今となっては無名となってしまったコメディアンたちの喜劇映画を、映画会社が監督や俳優を丸抱えにして競い合うように作っていました。短編主流の時代ですと、年間製作本数の7割をこのようなコメディ映画が占めていました。その大半がこのような道化劇なのです。道化劇というのは、簡単に言えばボケのことです。主役は、とにかくやっちゃいけないことをやって人から笑われます。また、サーカスで空中ブランコを観客に見せるような感覚で、アクロバットをやっていました。作り方としては、スクリーンがステージという感覚、客席のお客さんに対して舞台で演じているというような感覚です。主役の後ろからカメラを撮るような細工はしません。客席に向かって一番演技が見えるような感じで撮影するというのが、この当時の主流です。

それに対して疑問を持ったのが、プロデューサーのハル・ローチとハロルド・ロイドです。彼らも最初はこのようなドタバタ劇を作っていましたが、いつまでも同じことをやっていたら、自分たちは埋もれてしまうのではないかと思ったのです。ならば道化を一切廃止して、カメラアングルやストーリーの組み立て方により、別の切り口のコメディが作れるのではないかということで、やってみたところ成功を収めます。道化師ですと、サーカスのクラウンのようなメークをしています。キートンですと無表情であったりするのですが、これは、お客さんに対して自分の感情を出さない、すなわち感情移入させないような、痛さを感じさせないようなアクロバットこそが、道化の基本だったからです。

それに対して、ロイドの映画は、表情がすごく豊かなのです。痛いとか、悲しいとか、見ている人に感情移入をさせて作るのが、彼の喜劇です。これが今日主流の、シチュエーション・コメディというものになります。とにかく『ロイドの福の神』は腰を抜かすほど良く出来ています。30年ほど前に当会が行った試写に、大手広告代理店のCMカメラマンの方が来られていたのですが、腰を抜かしまして、一体どうやって撮っているのだろうって、言ったくらいの作品です。とにかく細かいところまでよく練っていますので、多分ご覧になられると驚かれるかと思います。特に昔の映画という感覚じゃなく楽しめるかと思います。

【柳下美恵さんの演奏と「6ペンスの歌」】

この日の演奏は、転がる、転がる、ピアノが、役者たちが…。柳下さんのピアノに合わせて、俳優たちが動いているのかと錯覚を起こすほど、映画の動きにピアノが見事に合う、その快感。擬音のタイミングの妙。そのうち演奏に見事に乗せられて、小さなギャグまで可笑しくなってくるから不思議である。やっぱりスラップスティックはピアノがあってこそなのだ。

上映前に柳下さんから音楽について、この作品(『ロイドの福の神』)には楽譜が出てくるところと、歌詞が出てくるシーンがあること。その歌詞はマザー・グースの「6ペンスの歌」の替え歌であることがわかったので、それを弾くとの告知があったので、その場面、注目して観ていたのだが…。

6ペンスの唄を歌おう
ポケットにはライ麦がいっぱい
24羽の黒ツグミ
パイの中で焼き込められた

実は「6ペンスの歌」はアガサ・クリスティが、2回も殺人事件のモチーフに使っているので、クリスティファンには馴染みが深い歌である。(「ポケットにライ麦を」「24羽の黒ツグミ」)裏を返せば、それほど歌詞が意味不明なのだ。映画では、黒ツグミ(Black bird)の部分がBlack Jackに変えられているのだが、Black Jackには海賊という意味もあるので、泥棒一味が、海賊気どりになって、自分たちのことを歌っていたのだとは想像できる。その前に、ライ麦ではなく、盗品でポケットがいっぱいになっていたシーンもあるので、そこにも歌詞を引っ掛けていたはずだ。(でも、次の詞では、パイにされちゃうのだが) むくつけき男たちが童謡を替え歌にしているという、可笑しさもあるかもしれないが、何しろ彼らの歌声がないので、それほど効果がない。“サイレント映画”のギャグにしては凝り過ぎで、無駄骨折り感が強いが、それが、実はロイドらしさなのかもしれない。

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