『或る終焉』ミシェル・フランコ監督インタビュー

“瞳の奥に繊細さを宿す”ティム・ロスとの出会いは運命的。「カンヌはチャンスがある場所」

『或る終焉』サブ1――ティムさんから「あなたの映画に出たい」との申し出があったときは、すでに本作の準備はできていたのでしょうか?

MF:ええ、アイディアを持っていました。すでにメキシコでアイディアをベースにした写真や衣装をつくっていたんです。当初デヴィッド役には(祖母の看護師と同じく)メキシコ人女性を想定していたのですが、ティムと話したときに「女性を男性の役にしても可能だよね?自分が演じられるようにしてほしい」と言われました。今思うと、ティムと出会ったときにこのアイディアがあったことが成功の要因でした。もし彼のために何かを書こうと思ったら、みんなが思っているような、タフでちょっとエキセントリックなイメージに当てはめて書いてしまっていたかもしれません。そうではなくて、ティムのほうから僕の世界へ入ってきてくれたことが良かったと思っています。

――それでは運命的で幸運な出会いが礎にあったのと同時に、きちんと準備されていたことが功を奏したのですね。

MF:僕はいつも次の映画のことを考えています。1つの作品ができても、次のことを考えてないと不安になってしまうタチなんです。カンヌにはこれまで3回行っていますが、カンヌは様々な良い出会いやチャンスがある場所で、それを上手く活用するには常に企画を用意していなければと思っていました。ティムはどんなジャンルでも僕の作品に出ると言ってくれましたが、準備がなければこのチャンスは生かせなかったと思います。

――ということは、今も次の映画のことを考えているのですね?

MF:現在執筆中で、10月から撮影予定です。母親が2人の娘に嫉妬するという、複雑な女性3人の関係を書いています。

※次の質問と答えの文中は結末に触れています。フランコ監督の意図としては観客に考える余地を提示したいということで、映画を観た人に対してもきちんとした解釈を明かすのはあまり望んでおられません。読まれる際はご注意ください。

撮影風景1

――衝撃的だと話題になったラストですが、デヴィッドに対して残酷な結末だなとも思えたり、やはりある意味での裁きなのかな・・・とも思えたり、人生の不条理さを感じて複雑な余韻に浸りました。私の記憶では、彼は歩行者用の赤信号を無視し、さらに車道のほうへちらっと目を向けて横断歩道をわたっていたように見えたのですが、それが意図するところは何でしょうか?

MF:あのラストについてあまり明確に答えは出したくないんです。なぜかと言うと、僕とティムとカメラマンの3人でこだわって撮ったシーンです。観客にはデヴィッドの行動は意図的だったのかどうか、曖昧にしておきたいところです。でも正直に言うと、彼は確かに車を確認して横断歩道をわたっています。でもそれを明確にしてしまうと面白くないし、現実世界では鬱になった人が事故に遭うことはあります。それに自殺がロマンチックに描かれている映画もありますが、僕はそれには抵抗があって、この描き方がリアルなのではないかと思っています。

撮影風景2

<プロフィール>
ミシェル・フランコ Michel Franco
1979年メキシコシティ生まれ。1998年より短編作品を製作・監督し、数々の賞を受賞。 初の長編『Daniel&Ana』(09)が第62回カンヌ国際映画祭監督週間に選出され、2作目『父の秘密』(12)で、第65回同映画祭「ある視点」部門グランプリを受賞する。本作は長編映画としては3作目となる。また、本作の後に妹と共同監督の『A los ojos』を完成させた。監督以外にも、プロデューサーとして携わった『Desde allá』(15/未)は、第72回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。

<取材後記>
フランコ監督は「カンヌは良い出会いやチャンスがある場所」とおっしゃったが、これを生かせたのはひとえに監督がしっかり事前準備を行っていたからだ。それが結果的に、本作のような素晴らしい作品を完成させた。もし監督が本作の企画をティムに持ち込めていなかったら、本作は誕生していなかったわけで、縁だけではなくチャンスをきっちり掴むための準備の大切さを感じた。これは映画製作に関わらず他の仕事でも通じることだし、ぜひ見習いたいと思う。


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©Lucía Films–Videocine–Stromboli Films–Vamonos Films–2015 ©Crédit photo ©Gregory Smit

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