『或る終焉』ミシェル・フランコ監督インタビュー

“瞳の奥に繊細さを宿す”ティム・ロスとの出会いは運命的。「カンヌはチャンスがある場所」
モフモフのキュートな髪型とは裏腹に(?)シビアな映画を撮るミシェル・フランコ監督。

モフモフのキュートな髪型とは裏腹に(?)シビアな映画を撮るミシェル・フランコ監督。

 アルフォンソ・キュアロン、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、ギレルモ・デル・トロ、エマニュエル・ルベツキ・・・。現在メキシコ出身の映画のつくり手たちが映画界を席巻しているが、彼らのなかにもう1人、加えるべき気鋭の監督がいるのを忘れてはならない。ミシェル・フランコ―長編第2作『父の秘密』(12)で第65回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞し、さらに5月28日より公開中の第3作『或る終焉』(15)では昨年の同映画祭の脚本賞に選ばれ、注目を集める36歳だ。本作では終末期患者を献身的に世話する看護師デヴィッドの孤独や葛藤を描いている。

 看護師と患者、そして看護師と患者の家族との関係には「こうあるべき」という正解はなく、どう距離を保てば(もしくは縮めれば)いいのか悩ましいところだろう。また、もし末期がんの患者から「死なせてほしい」と頼まれたらどう応えればいいのか・・・。そんな深遠な問いに対する主人公の苦悩と決断、その賛否、そして思いがけないラスト。生と死の問題には様々な葛藤がついて回るが、まるで観客の考察を試すかのように心を波立たせる作品だ。デヴィッド役にはティム・ロス。これまで癖のある役回りのイメージの強い彼が一転、生気のない顔でほぼ出ずっぱりにして円熟の名演を披露しているのも見どころだ。これまでの彼のフィルモグラフィーのなかでも屈指のパフォーマンスと言っても良いだろう。

 今回、メキシコにいるフランコ監督とスカイプでのインタビューが実現。ティム・ロスとの運命的とも言えるカンヌでの出会いや、監督の積極的な映画づくりの姿勢が本作の成功に繋がった経緯などをお話いただいた。

『或る終焉』メイン――メキシコでは今年3月に本作が公開されたとのことですが、看護に携わる仕事をされている方たちも関心を持ってご覧になっているかと思います。そういう方々からはどういう感想が聞かれたのでしょうか?

ミシェル・フランコ監督(以下MF):メキシコでもアメリカでも、この映画を患者の長い闘病生活の間に起こる看護の難しさ、家族との関係をとてもリアルに描いていることを評価していただきました。

――本作はフランコ監督の亡くなったお祖母様をケアした女性看護師のお話から着想を得たと伺っています。終末期患者を専門に世話をするというのはかなり特殊かと思うのですが、監督はそういうお仕事をどう思っていますか?

MF:理想は家族が患者の面倒を看ることでしょうけれども、実際にはそれはかなり困難です。また、患者としては家族よりも(看護師などの)他人のほうが心を開けることがよくあります。それは信頼だけではなく、何も知らない人のほうがオープンになれるという側面があると思います。そういう意味ではデヴィッドのような終末期ケアを専門とする看護師は、医者と同じくらい必要な職種だと思っています。ただそういう人を雇うのはお金がかかるので、コスト面の問題もあるかと思います。

――本作は監督にとって初の全編英語の作品ですが、それはティム・ロスさんが参加されることになったためですか?

MF:そうです。ティムが参加することで、ロサンジェルスで撮影することになりました。彼は撮影場所をアメリカにこだわっていたわけではなかったのですが、僕としてはとてもパーソナルな、全ての人が共感できる映画を目指していたので、英語で撮ることにしました。ティムという素晴らしい俳優、共演者にも優れた俳優たちを見つけられたし、メキシコでもそれが不可能ではないけれども、結果的にこれがベストでした。

――本作ではアメリカもしくは英語圏の国のどこの街など、舞台を特定していないように思えました。監督がおっしゃるとおりパーソナルな物語であるのと同時に、どこの国でも常に起こり得る看護の問題を描く作品であるからこそ、舞台をあえて明示していないのかな、と思いましたが。

MF:その通りです。ただ、デヴィッドが患者の家族からセクハラで訴えられるエピソードはアメリカ社会を反映しています。メキシコではこういうことは滅多に起こらないんです。でもどの街かを特定することは重要ではなくて、もっと普遍的に、観客が共感できる映画にしたいと思ってつくっています。

――フランコ監督から見て、ティムさんはどんな俳優でしょうか?『父の秘密』がカンヌ「ある視点」部門のグランプリを受賞されたときの審査員長がティムさんだったというご縁もありますが、本作で一緒に仕事される前と後では、印象が変わった点などはありましたか?

MF:ティムはとても寛容な人です。自分の役だけではなく作品全体を真剣に考えてくれて、とても良い意味で仲間というか、映画の共犯者になれました。彼の印象としてはカンヌで彼と一緒にお酒を飲んだとき、彼の瞳の奥にとても繊細なものを感じて、すごくスペシャルなものを持っている人だと思いました。それはそれまで僕が彼に感じていた、メディアでいろいろ発言する人物とは違っていたので、このデヴィッド役に必要な深みがある人だと思ったんです。

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