【柳下美恵のピアノdeシネマ2016】 第1回『密書』ゲスト石田泰子さん
サイレント映画とトーキー映画の字幕の違いとは
柳下 「石田さんには、以前『嘲笑』(ベンヤミン・クリステンセン監督・ロン・チェイニー主演)の字幕翻訳をしていただいたことがあります。普段はトーキーの字幕をやっていらっしゃるので、サレイントをやってみて違っていたこととか、特に心がけたこととかはありますか」
石田 「実は私、この世界に入って生まれて初めて書いた字幕原稿っていうのが、ロン・チェイニー主演の『オペラの怪人』(ガストン・ルルー原作)だったんです。もう鉛筆を持つ手が震えたんです (笑)。ただもう夢中でしたからね、それ以外の事はよく覚えていないんです。それで『嘲笑』をやらせていただいたのが、もう何十年振りかだったんです。まずあれはロシア革命が舞台ですよね。多分日本人が誰でもよく知っているというものではない。それで、何の予備知識もなく映画を観て一般の観客が入りこめるかなぁと考えた時に、これはやっぱり何か補う必要があるんだろうなぁって思ったんです。それでロシア革命を勉強するところから始めました」
柳下 「でも補うっていっても、字幕に出ている以外のことは翻訳として出来ないですよね」
石田 「そうなんです。だからそんなには沢山説明する余裕はないですけれども…。例えば、この兵隊たちは白軍なのか赤軍なのかとかね、原文には兵士としか書いてないんですが、それを敵軍の兵士とするだけで、話がわかりやすくなるんですね」
柳下 「なるほど、そうですね。ただ白とか赤とか言っても、それが敵なのか味方なのかわからないですものね」
石田 「そうです、そうです」
柳下 「私も結構そういう感じで弾くことはありますね。今日の映画もスパイが出てくるところは、やっぱり悪者っぽい音楽にしてみたり。もっとも最初からそれをやっちゃうと、皆さん先がわかっちゃうということもあるので、ちょっとだけ。」
石田 「あ、それは感じましたよ」
柳下 「あと、トーキーとサイレントで字幕の違いみたいなんていうのは、あるんですかね」
石田 「そうですね。基本的にはそんなに変わらないと思うんですけど、ただ、サイレントの場合は原文が出ますよね。その原文っていうのが、どのサイレント映画も割とわかりやすい英語なんですよね」
柳下 「なるほど」
石田 「そこに自分が訳したものを並列で載せるっていうのは、やはり怖いことではありますよね。皆さん英語をわかって読んで、翻訳を読んで、また英語を読める時間的な余裕があるじゃないですか(笑)」
柳下 「あっ、そうですよね(笑) それはありますね。でもサイレントの字幕のほうが、トーキーより訳すことが少ないって、おっしゃっていましたよね」
石田 「すごくシンプルな言葉で表現されていますからね」
柳下 「トーキーでも、色々調べられるんですよね」
石田 「そうですね。普通のドラマの翻訳でも、色々調べることは付き物ですけれども、一番大変なのはドキュメンタリーの翻訳ですね。ドキュメンタリーは調べ物をしている時間のほうが長いくらい。ドラマの翻訳の3倍も4倍も時間がかかりますね。まあ面白いですけれども」
字幕翻訳で心がけていること
柳下 「他に、字幕翻訳で心がけていることとか、あと今までにあったトラブルとかありますか」
石田 「トラブル!それ来ますか(笑)」
柳下 「さりげなく言ってみたんですけれども(笑)」
石田 「トラブルお任せくださいって感じですね(笑)」
柳下 「あっ、そうなんですか(笑)」
石田 「まず心がけていることは、やっぱり原文から逸脱せず自分は出さずにって、ことですね」
柳下 「あー、それ、すごい伴奏と似ている」
二人(同時に) 「だから黒子に徹するということですね」
石田 「で、あと、わかりやすく。お客様はお金を払って字幕を読みに映画館に行くわけではなく、映画を楽しみに行かれるわけですから、字幕はあくまでもお手伝い。補うべきところは補い、でもでしゃばらず。そのさじ加減が難しいですね」
柳下 (小さな声で)「じゃぁ、ちょっとトラブルのほうを (笑)」
石田 「トラブルはねぇ(笑)、字幕そのものっていうよりも、スケジュールですかね。常にきついんですけれども」
柳下 「それは、なんでそんなにきついんですか」
石田 「字幕の仕事って、配給会社が映画を買ってきて日本に紹介しようとする時の、一番先頭の作業なんですね。それから宣伝があったり、マスコミ試写があったり、いろんな作業があって公開まで行くんですけれども」
柳下 「じゃ、早く早くって言われるってことですね」
石田 「その一連の流れの中で、常にスケジュールのお尻が決まっているんですよね。宣伝の方も、もちろん内容は把握してらっしゃるけれども、やはり字幕が付いたものを観て、宣伝戦略を細かく練ったりされるので、とにかく早くっていうのが常にありますね。でも、予定どおりに素材が来なかったり、そのうえ自分自身にも色々あったり」
柳下 「それで余計にスケジュールがきつくなってしまうのですね」
石田 「あとトラブルと言えば、もう時効だと思うからお話しますけど (笑) …例えばアメリカ映画だと、度量がメートル法じゃないわけです。ヤードとかインチとか。重さはポンドだったり。それをそのまま出すとわかりにくいので、メートル法に換算するという作業が必要なんですね。一次元ならまだいいんです。ただ単に掛けたり割ったりするだけですから。でも面積や体積となると、なかなかややこしい (笑)。小学校で習ったけれど、もう遠い世界なので。今ならインターネットで数字さえ打ち込めば自動的に計算してくれるというサイトがいくらでもあるんですが、当時は自分で計算しなくてはならなかった。それでうっかり計算ミスをしてしまったんですね」
柳下 「昔はそれをフィルムに焼きこんじゃうわけですよね。そこで間違えたのは、焼き込まれちゃったんですか」
石田 「うーん、そうなんです。実は」
柳下 「えーっ!」
石田 「別に責任転嫁するわけじゃないですけど、3~4人でチェックしていながら誰も気がつかなかったんです。しかも、それは登場人物の別荘の広さだったんですね。別荘だからかなり広いわけですよ。で、自分でも感覚的にこれが正しいのかどうかっていうことが、ちょっと掴みづらくって。後から指摘されて調べてみたら、なんか四国ぐらいの大きさだったんですね(笑)」
会場 (爆笑)
石田 「あっ、これはないなぁって(笑)。でも実は世の中に公開される前のマスコミ試写の段階で、ある有名な外国人タレントの方が指摘して下さって、そこで直せたんですね」
柳下 「日本中回っちゃったらねぇ」
石田 「それは無かったので、まだ小さい傷で済んだのですけど。でもね、翻訳者って、別に弁解するわけじゃないんですけど、数字に弱い人が多いんですよね」
柳下 「あっ、そうなんですか。じゃ、みんなに見てもらわないとだめですね。数字の強い人に」
石田 「本当にね、こういうエピソードは翻訳者の間で話してみると、もう尽きないんですよ。私なんかあの時ねぇ、ただファイブって言っているだけなのに4(よん)って訳しちゃったのよ、とか(笑)」
柳下 「えー、どうして(笑)。そうなんですかー。本当に気を付けてやらないと大変ですね。私もそれに近いことは、時々録音があるんで。録音だと直せないじゃないですか。だからそれは緊張しますよね」
石田 「そうですね。今はご存知のとおりフィルムじゃなくて、デジタルになっていますよね。DCPって言いますけれども。これは焼き込んでしまうと、もう直せないんですね。フィルムの時は、汚くなっちゃうので本当は良くないんですけど、ただ、消す方法はあるにはあったんです」
柳下 「あー、あった、あった。なんかボヤッーとしている…」
石田 「そうそう、そうそう。背景が暗いところだと目立たないんですけど、白いところだと、元の字がちょっと残っちゃたりして汚いので、よっぽどじゃないとやらなかったんです」
柳下 「以前字幕は、手書きみたいなので、やっていたじゃないですか」
石田 「昔はすべて手書きだったんです。映画の文字ライターっていう専門の職人さんがいらして、私たちが書いた原稿を、専門の紙に写す仕事をしていたんです」
柳下 「ですよね。サイレントの時には、中間字幕のデザインをやる人がいて、絵とかまで描いたんです。ヒッチコックとかもやっていたんですけれども。もしかしたら、それが残っていったんですかね」
石田 「今はほとんどゴシックだったり、普通のフォントというケースも多いんですけど、映画ファンや配給会社の方の中に、昔のあの独特の文字が懐かしいとか、その頃の字がやっぱりいいって方が結構いらっしゃるんですね。なので、今はそれがフォント化されているんですよね」
柳下 「確かにそれを選べばいいんだけれど…」
石田 「でも、ちょっと風合いが違うんですよね。手書きの、ちょっとチリチリした感じがないんですよね」
柳下 「そろそろ時間なのですが、今日は本当に貴重なお話をありがとうございました」
石田 「全然貴重じゃないですよ」
柳下 「えーっ、だって字幕のことで話すってことはなかなかないことですから。『嘲笑』で字幕翻訳やっていただいたということと、以前石田さんとお話した時に、やっぱり伴奏と字幕ってすごい似ているよねーって話になって、一度こういう場でお話伺いたいなぁーって思ったんですよね」
※2月~6月の第3金曜日「柳下美恵のピアノdeシネマ」がUPLINKにて開催されます
第3回は4月15日(金)19:30開場 20:00開演『アイアン・ホース』(ジョン・フォード監督)
詳細はこちら⇒UPLINK 柳下美恵のピアノdeシネマ